2014年7月30日の活動

被災地視察
◆宮城県気仙沼市
 防潮堤建設見直しを実現したNPO『森は海の恋人』代表の方からお話を伺う。
 (資料:巨大防潮堤建設問題
 (代表の方は、NHKスペシャル『防潮堤 400km~命と暮らしを守れるか~』にも出演)


防潮堤建設計画を撤回させたお話を伺う(気仙沼市)。
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 海岸の管理者は7つに分かれる。ここは市の管理で、防潮堤の図面が作られる前の2011年夏に、防潮堤建設計画は“不要”だと住民100%の同意を取り付けた。
 防潮堤建設計画前に、高台移転が決まっていた。
 岩手県は、もともと防潮堤があったが、宮城県は少なかった。
 防潮堤計画は高さ9.9m。平地が少なく、垂直壁になってしまう。
 防潮堤の管理費は、100%地方自治体持ち。
 ここでは、カフェ系ツーリズムを行っており、外国人も対応したい。
 また、北海道南西沖地震の奥尻島を例に(復旧事業後、島の経済は地震前の3割に減)、8月末に奥尻の方を招いて、シンポジウムを開催予定。

視察②
◆仙台市荒浜地区
 防潮堤の見直しを求めている市民団体 荒浜再生を願う会代表など、被災された3人の方からお話を伺いました。
 この地区には、730世帯3,400人が暮らしていた。昔からの居住は400世帯以下。人口は昔と震災前は変わっていない。
 津波到達は3時半。
 小学校に避難した340人は全員助かった。犠牲187人のうち7割は家に戻った人。校長の判断で校舎に子供を残したが、保護者は子供が家にいるものだと家へ向かい、津波被害に


津波に襲われた時の仙台市荒浜小学校。
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2階まで津波が強い力で押し寄せた事が分かる。仙台市荒浜小学校。
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 震災時、連絡手段が断ち切られ、家族を心配し、家に向かうが、東部道路で津波が見えない。帰るろうとするのを止めるのを振り切り、亡くなった。
 海が見えなかったから犠牲に。防災無線は風の音で聞こえなかった。


鉄筋コンクリートの小学校(右上)以外、津波で何もなくなってしまった仙台市荒浜。(手前は家の基礎)
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 6mの防潮堤があった。防潮堤が滑り台になって、松の木をなぎ倒し、松の木が家を壊した。津波が最初に来るのは、水ではない。がれき、家。めちゃくちゃにされて終わり。
 地震のガレキを片付けていた人や、大事な物を取りに来て、津波にやられた人も。
 家の2階だけ1km流されて、助かった人も何人かいた。
 家より、家の中の宝物を無くしたのが、くやしい。
 地域に郵便局しか無く、タンス貯金が多かった。
 以前の災害では津波は来ていない。言い伝えは「地震はあっても津波は来ない」だった。1100年前の大地震では、ここは海だった。海抜5m。波分けと言う名の神社があったが。
 新しい地域の人は、津波の訓練はしておらず、公園に避難し、被害に。
 体育館1階に防災品があったが、津波に。
 貞山堀で津波がぶつかり、津波の高さは30mに。
 家族で普段話し合いをして、災害時は、てんでんこで。
 小学校の建物は遺構として残す事になった。
 防潮堤建設計画は、L2(数百年に一度発生する津波)・M9以上に備え、高さ7.2m、最大11m。斜度は30度を切ってる。
 砂浜は潮の流れ、台風によって、行ったり来たりする。掘削の為に、行きっぱなしになる。
 地形をいじくっては、自然に良くない。行政・有識者は分かっている事。自然にやられっぱなしでいい。田畑には、ミネラルが必要なので、山のほうでは、わざわざ海水を持って来て、田んぼに撒いている。
 災害は、人の開発では超えられない。
 東北にはゲリラ豪雨は来ておらず、対策を取っていない。
 防潮堤は60年しか持たないのに、何が安全なのか。「作りたい、経済・雇用だ」とはっきり言われた。
 防潮堤の建設工事は始まっている。1年くらいで出来てしまうのではないか。海は見えてないと怖い。ここは外洋に面した海岸。説明会はあったが、対話ではない。「持ち帰って検討する」と言うのみ。合意得ずに。
 宮城県は10年で復興と言っている中、仙台市は5年で復興すると言う。
 地震直後、信号が止まっても、車の割り込みは無かった。
 避難所は、いっぱいで入れなかった。
 ここは危険地域と指定されたが、移転地域は確定していない。
 農と食のフロンティアゾーンは、20ha以上の農地に補助するとの事。

視察③
◆石巻市
NPO石巻市復興を考える市民の会代表の方からお話を伺う。
 石巻市では、津波で2万世帯が家を失った。津波の高さ最大30m。
 流された家の屋根に乗ったまま流された人は、引き波で海に戻され、帰らなかった。
 石ノ森章太郎館では、職員が柱につかまりながら、津波で流れて来る人で、手が届く捕まえられる人を捕まえて、施設内に入れた。
 津波で電話ボックスの上に、たどりつき、助かった人も。
 石巻市は震災前、人口16万人から2万人減。2040年代には人口9万人と推計。
 防潮堤建設計画は、高さ6~15mではないか。
 石巻では駅前再開発が計画されている。
 復興住宅は、被災者が家賃を知らない。5年目まで半額。6年目から千円ずつ上がっていく。

今日見たTVで、荒川区ではジェネリックを使った事による、節約額を通知しており、例えば、聖マリアンナ病院では、4億円医療費が節減されたとの事。