2020年1月28日の活動

 

【埼玉出身・北勝富士】『技能賞』(2回目)おめでとうございます(11勝4敗)。北勝富士のお父さんと千秋楽の日📞電話でお話させて頂きました。北勝富士とは、狭山で個人的に食事をご一緒した事があります。
 徳勝龍(33才)の幕内最下位(41人抜き)からの初優勝(初土俵から11年。日本人最年長優勝。再入幕から史上初)。「自分より下はいない」との言葉などに感動しましたし、励まされましたね。勝負の世界の厳しさも。
 北勝富士と、徳勝龍のところだけ、相撲好きの方と一緒にTVで観ました。(埼玉県など12県からは優勝力士がおりません。『入間川部屋』があるくらいですから、応援したいですね)

 

千秋楽の取組みを終えた直後の北勝富士 関。(NHKより)

 

徳勝龍 関。(報知新聞より)

 

 

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『平成30年7月豪雨』で、倉敷市 真備町の【台風で浸水した高さを示すオレンジの線】は、2階の中間くらいまで。
 (埼玉県議会 危機管理・災害対策委員会で)(シリーズでお伝えします)

 

 

 

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【台風で浸水した高さを示すオレンジの線】は、電車の高架陸橋に。
 真備町の浸水の1番の高さは5m38cm。
 豪雨で、高架まで浸水していたので、高架を超えての救助活動が、水が少し引くまで出来なかったそうです。

 

 

岡山県倉敷市選出の高橋県議のブログに書かれていました。

《連載》あの日の記憶 ~その28~ー髙橋かいりゅう後援会ブログ

 

 

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倉敷・真備町で、市役所がどこまで浸水したか職員が案内して下さいました。1階から階段で23段の所まででした(上の写真。写真右すみのビニールテープ)。
 今回ほどの浸水は、これまで無かったとの事。

 

 

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豪雨時(上の📷写真)、橋の上に停車している車両は、消防車両。(下の写真が現在)
 私が4年前に行った鬼怒川決壊現場の茨城県常総市も、街の多くが浸水したので、橋の上に消防車両が止まっていました。
 そして昨年台風19号で、川越市でも。

 

写真上に鉄道陸橋と、市役所(支所)がある。

 

豪雨時の写真は、この橋から写真上の方向
  (小田川)

 

 

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倉敷市 真備町の全壊家屋は4千件、半壊6千件で、平成最悪の被災。
 倉敷市全体の避難率は0.5%でしたが、市内 真備町内では6割が避難。真備町の中でも、新興住宅の地域の方は日頃、避難する事を意識していなかったが、旧来の地域の人は避難を比較的意識していたそうです。
 これを、自分の街に置きかえて考えて頂ければ。

 

 

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倉敷市 真備町の人口は2万2千人で、1万5千人が避難所(公設3か所)に避難。7月6日に被災し、10日以降、ものすごい暑さで、においもたまらなかった。泥ドロの人も入って来る。寝られず、避難所の快適性も求められた。ニーズが先行し、他市の避難所に流れていく(災害協定の無い総社市。総社市自体も被害を受けていたが、何千人も受け入れた)。『広域的避難』は絶対必要。「市だ。県だ」は関係無いが、中々うまくいかない。外国人もいらっしゃる。『避難所』で1番長く生活せざるを得なかった所は12月まで。
 夏の暑い時期、あなたの近くの避難所は、どうなるでしょう?私は阪神大震災後の2月、神戸の避難所で、寒くて中々寝付けませんでした。
 仮設住宅は最大3285世帯、1年半経った現在1800世帯・5千人で、5割くらいしか街に戻れていない。

 

 

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『平成30年7月豪雨』で倉敷市真備町
 町内8か所で川が決壊した他、7か所の堤防が一部損壊。町の1/4が完全に水没(1200㌶)。
 埼玉県から災害後、県職員51人(避難所・物流39人、り災証明3・健康相談9人)・市町村職員40人(避難所・り災証明)・医師など15人を派遣。倉敷市職員から、目に涙を浮かべて声をつまらせ、お礼の挨拶を頂いた事を、県民・県職員の皆様に報告致します。
 私は県議 初当選すぐの議会で、災害時、県職員を出来るだけ多く被災地に派遣するよう知事に質問しました。47県がある中で、災害が起きて的確に動くには、何よりも現場の経験が必要です。その経験は、災害以外の日常業務に必ず活きます。

 

平成23年6月県議会での質問と知事答弁ー埼玉県議会「中川ひろし」オフィシャルサイト

 

 

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災害時に、自力で避難が不可能な人をどう避難させるか。
 倉敷市 真備町に伺う2日前に、東京大学の片田敏孝 教授に『市の責任で避難できない人をケアマネジャーが認定する事』を聴いたばかりで、その際、先生に私が質問したところ「倉敷市が全国で1番の先進的取り組みになるかも」と言われたので、倉敷市職員に早速聞いたところ、「片田先生の指導のもと、今後検討会で検討していく」との事でした。
 倉敷市の動向を待ってから動くのでは、時間がかかり、災害が先に起きてしまうので、それぞれの地域で着手していかないと、教訓が生かせない。