2014年3月8日の活動

政策調査。
市民相談。
安全保障討論会(入間市)。
入間基地司令に、演劇公演『MOTHER』を紹介。
航空開発実験集団司令部幕僚長と意見交換。災害時を想定した日頃の自衛隊と県の対応について。
自衛隊員の方々と会合。
隊友会会合。大雪被害時の県庁・自衛隊の対応のあり方について相談させて頂きました。
前県議と会合。ざっくばらんに意見交換できて、良かった。
(0時過ぎに帰宅)

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原子力施設の事故は、東日本大震災での事故だけでなく、日本のどこかでこれまで起きた事は、ある程度必然だったのではないかと思う報道を見ました。
NHK ETV特集『核燃の村 苦悩と選択の記録~青森県六ヶ所村』2006年放送の再放送。

 青森県六ヶ所村に核燃料再処理工場の計画が、まだ無い段階の1970代後半~80年代にかけて、再処理工場建設が国内で検討され、その1つに北海道【奥尻島】が含まれていた。
 北海道南西沖地震は1993年。ご存知の通り、奥尻島の多くの地域が津波で壊滅的な打撃を受けました。その時に、ここに再処理工場があったら。また、たまたま原発だったら・・・。
 六ヶ所村の核施設の計画は1984年に出され、建設され始めたのは88年で、奥尻島などでの計画がとん挫した後に計画された訳ですから、計算上、奥尻島に計画が決まっていたら、南西沖地震当時、核施設が出来ていたのではないでしょうか。
 そもそも、国の官僚や学者は、核施設を計画した奥尻島が津波にあった事を知っていたはず・・・。(以下、番組詳細)

 まず青森県庁が、六ヶ所村に最初に推し進めたのは“むつ小川原開発計画” (1960年代)。近代的な港が整備され、石油精製工場などの工場が誘致され、3万5千人の雇用が生まれる。土地を売った農家は工場に優先雇用されると説明。
 計画発表される前から、県外の不動産業者が村に乗り込み、買収価格10アールあたり70万円の土地は、当初3,4万円だった。
 当時の六ヶ所村(寺下 力三郎)村長は計画に絶対反対。大規模な立ち退きを必要とする開発は、住民の生活を根底から破壊すると主張。住民の反対運動が起きる。
 金融機関は開発予定地域の住民に、後の買収金額に見合う資金を融資。家の建てかえ、車の購入で、金を使ってしまった住民は計画を受け入れざるを得ない立場に立たされていく。
 土地を売って、移転をしてくれれば、県は「工業用地の工場の仕事を地権者に優先して回す。最低でも1件1人は雇う」と薦め、移転させたものの、工業用地(3千ha)の大部分には工場が来ず、移転した人の中には、建てかえた家も手放す事に。
 そうして出て来たのが、核燃料再処理工場計画(前述の1970代後半~80年代)。国内の他の候補地はうまく行かず、膨大に工業団地用地が売れ残っていた六ヶ所村が計画地となり、1984年に電力業界が村に計画を申し入れた。
 翌85年、受け入れを県・村は回答。しかし、漁民は放射能で海が汚染される事を懸念し、漁協組合員の半数以上が反対だったが、説得されていく。漁協組合員の間で、いがみあいのケンカが男女問わず総会の場でも起きる。
 86年の漁協総会は、再処理計画の海域調査の受け入れの是非を決めるはずだったが、推進派組合長が冒頭、流会を宣言。反対派組合員が改めて総会を招集。調査拒否を採択するが、県と核燃料サイクル会社はこれを認めず、調査に入る。
 同年6月、県が機動隊400人を動員して、港を封鎖。反対派漁民を封じ込める。調査には海上保安庁の巡視船・ヘリが護衛につく。巡視船同士が固まって漁船に迫り、漁船を転覆させんばかりに波を起こす。
 反対派の漁民は、賛成しないと、漁に出られない。親戚の間にも賛成・反対分かれる。逮捕される反対派漁民もいて、県・国の対応に、賛成派も不信感を持つ。
 88年、六ヶ所村の最初の核施設、ウラン濃縮工場の建設が始まる。賛成派の中にも亀裂が。
 89年、村長選挙。建設計画の凍結を求める新人村長候補と政策協定し、「核燃サイクル施設を進めるのはダメ。凍結を約束し、村民の同意が無ければ、絶対に進められない固い決意」と選挙で訴え、その候補が村長に当選したが、住民投票を実施する約束は守られず。村民は政策協定を守るよう、村長に繰り返し求める。番組の取材に当時の村長は振り返り「私はもともと住民投票に反対だったが、村議から『いいからハンコだけ押せ』と言われた。自分で名前を書いて押した。はっきり言って私から見ると、政策協定そのものが幼稚で人だましで、法的に無意味な協定だった」。
 そしてその後、ガラス固化体の受け入れを国は、六ヶ所村に求めた。六ヶ所村民がこれまで聞かされて来たのは、核燃料再処理・ウラン濃縮工場、低レベル処分場だけだったが、増えた。
 これらの裏に一体どれだけの力が動いていたのか・・・。

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【富士山・浅間山などの噴火の影響を考えなければ】
 大雪・竜巻など、最近手を変えて来ている自然災害。どんな事でも想定はしないと。特に浅間山から近い埼玉県は火山対策も考えないとならない。
 私は、三宅島噴火の避難解除になったばかりの時、火山ガスのマスクを持って(持参する事が強制だった)三宅島に入りましたが、入ったばかりの時は、マスクしないでいると、息苦しかったです。

 そんな中、NHKドキュメンタリー『石に刻まれた巨大災害~桜島大噴火100年 その時何が』が放送され、参考になったので、以下に内容を記します。
 1914年(大正6年)に、休火山と思われていた桜島が大噴火。溶岩の量は、雲仙普賢岳噴火の10倍。3500km離れたカムチャッカ半島まで火山灰が達した。鹿児島の7つの集落が全滅。
 さほどの雨でもないのに、大洪水・土石流も引き起こされた。土石流は100ヶ所以上で発生。
 山に積もった火山灰で(ビニールシートで覆われたようになり)雨が土にしみ込みにくくなり、わずかな雨でも、雨水が山肌を削り、岩石も転がり落とす。
 火山噴火による地盤沈下で、海岸の堤防も決壊。たまっていたマグマが地下に無くなるので、地盤沈下が起きる。
 火山石が60~70cm積もった集落もあった(灰でなく、石)。
 現在の噴火の想定では、鹿児島市の中心部も70~80cm火山灰などが積もり、救急車が動かない、水源地をやられる、停電など都市機能がマヒ。50cm積もれば(500kg)、火山灰の重みで家がつぶれる。100年前も重みでつぶれた。
 風向きによって火山灰は、東北地方など日本列島全域にも及ぶ。噴火から20時間後、国内主要空港は、火山灰で覆われる。2日間飛行機は飛べない。場合によっては1週間影響が出るとの事。

 もし富士山が大噴火したら・・・。

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 なぜ知識偏重の入試しかできないのか 背景にある大学の苦しい台所事情鈴木寛氏[東京大学・慶応義塾大学教授、元文部科学副大臣] 。
 大学入試がなぜ知識詰め込みになっているのか。「そういう事だったのか」と勉強になりました。私は県立高校入試改革を求めていますが。