2025年1月17日の活動

【京アニ】被害者家族のお話が今日(土)、狭山市で。
 申し込み不要・無料。事件後、仕事でたまたま近くに行ったので、外観を見させて頂いた事があります。
 

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「狭山ライオンズクラブが大事にしている『一期一会』の反義語は無関心」との話が青年会議所理事長からありました。献血や👦フードバンク👧への協賛金で、狭山ライオンズクラブさんには、日頃大変お世話になっております。ライオンズクラブの合言葉は「我々は『奉仕』する」で、県庁の管理職に理解してもらいたいと思いました。今日(金)は年に1度の『防災とボランティアの日』です。
 (📷️写真は狭山ライオンズクラブ会長さん)

 

 

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県庁に欠けている根幹📷️。
 今日で、震災から30年も経ちましたが。せめて気持ちを汲んでほしい😢。
 (📷️狭山・☕『カフェ・ド・ちゃぁみぃ』での個展にて)

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害経験者の多くは『くやしさ』がある「ああ出来ていたら」。この30年間、何人もの被災された方に現地で直接伺って来ました。
 阪神大震災から今日、1万958日目。県庁が言う「検討」は【保留】(ペンディング)がほとんど。その後、「出来ません」と電話がある事が多い。命を守る事に『先送り』は何を意味しますか?倒壊し『がれき』の下から声がするのに、救えなかったくやしさは、『能登』でも同様になってしまった。全ての県庁は30年間、担当課を設け、何人も職員を配置し、取り組んで来たはず。
 
 

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助けられるはずなのに、助けられなかった😢
 阪神大震災、最大の教訓は、まだ埼玉県では生かされていません。消防署・消防団だけではとても足らない。建物が倒れ、火災が近くで発生した際、家族を焼け死なさずに済むのか。チェーンソーなどの工具を日頃から使えるようにしておかないのか。まず7千人の県庁職員の何人が道具を使えるのか。“その時”、市町村職員は何人いても足らない。神戸で🚒消防隊員が泣いていたのを、ご覧になった方は、何人もいますよね。
 大きな教訓は、他にも。 (📷写真は、NHK)
 

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阪神大震災 大きな教訓は、行政が被災者(市民)に寄り添えませんでした。私が現地入りし、震災から半月経っている2月初旬になっても、役所にかかって来る電話を「出来ません」と私の近くで何人もの職員が断わり続けている内容を聴いたらボランティアに頼めば完結するのに災害ボランティアセンターの連絡先を職員は、ほぼ全く伝えていなかった(当初、ボランティアセンターは区役所の中にありました)。一方、毎日全国から新たなボランティアさんが3千人も来るのに、区役所がそのような状態で、ニーズの通報があまり入らず、せっかくお越しになったのに、お帰り頂く方が何人も出てしまう。そこで(私はニーズ調査もボランティアさん達にお願いし)、私は神戸市の区役所に災害ボランティアセンターのリーダーの1人として掛け合いました。係長・課長・部長に言ってダメだった時、誰に言えば?と聴いたら「(灘区役所)区長に言って下さい」と幹部から言われた。もうボランティア役員さん達も疲弊していたので、私は泣きながら、区長に「被災された方々がこんなに困っているのに、どうして職員がボランティアセンターの電話番号を伝える仕組みにしないのですか?」と直談判した翌日から大きく改善され、区長から後日、感謝されました。「私は神戸市民ではないのに、なぜ区長に言わなければならない状況なのか」区長・市長・知事に話さなきゃ改善されないなら誰の為に職員はいるのかと思った最初の出来事です。
 行政との連携がうまくいかなかった年を、『ボランティア元年』とマスコミが呼ぶのに違和感がありました。
 (私は当時、議員ではありません。📷写真は今朝のNHK)
 

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阪神大震災時、半月間、神戸に居て、被災した方々が避難所で言っていたのは「区役所の職員は役に立たないから『避難所に来なくていい』と言っている」。それは単なる感情論ではありませんでした。
 一方私は、区役所内の災害ボランティアセンターで毎日夜11時くらいまで作業をしていたので、懸命に働いている職員を見ていた。「とても大きな災害時に、このギャップを被災者になぜ感じさせてしまうのか」。神戸から戻り、都内などで講演を頼まれた時にお話した事です。問題は『被災者の視点』での仕組みになっていない事をどう改善するか。それは災害前に、対策を変更していかないと、いざとなってからでは、困るのは被災した県民です。
 そして災害が多いからといって、県庁職員数を増やしては、このギャップは埋められないと、その後の国内各地の現場に行って感じ続けています。
  (📷写真は、埼玉新聞)