市ボランティア連絡会研修会。赤十字奉仕団員として参加。
【公務員・教職員・福祉医療施設職員・政治家などに超おススメの施設を訪問!】
この山を1人の学校の先生が買い取り、特殊学級の生徒たちと、2年間昼夜をかけ開墾。
山の傾斜38度。大地を手でつかまなければ登れないような急斜面を意図して選んで購入。
知的障害者入所施設 こころみ学園(重度の知的障害者入所施設。栃木県足利市)。
事務局長さんにお話を伺いました。
当施設の本『山の学園はワイナリー』(テレビ朝日事業局出版部)を購入し、読みました。本の副題に『与えるだけでは、豊かな心は育たない~額に汗する事は、人の心もつくる』とありました。本も大変お薦め!
超おススメの本!今まで読んだ本で一番と言ってもいい本!
(子育て中など一般の方にも)私がこれまで読んだ本の中で一番と言ってもいい程です!
こちらで最初に建てられた建物は、行政から援助を一切受けずに、初代園長(川田昇氏)が1千万円寄付して、建てた。
初代園長(以下、園長と記載)は、「はみ出しっ子でも、分かってくれる人が必要だ」と自身の体験で思い、小学教諭時代、放課後、勉強に付いて行けない4年生に、1年生の国語・算数を教えた。
園長が子供の頃は、公共工事をする人の中に、知恵の遅れた人が1人・2人混じっていた事を記憶している。今の社会には、共感が薄れ、心が感じられない。
中学の特殊学級の教諭をしていて、障害のある生徒の手が、赤ん坊のように使っていない手であるのを見て驚いた。
そこで、昭和33年、7.8ヘクタールの山を、私財を投げ打って購入。購入した理由は、不景気になると最初に首を切られるのは障害者。それならその子を引き取って農業をやろうと、中学教諭として思ったから。今のようにしようとは思っていなかった。
山の傾斜は平均38度。立っているだけで大変な所(スキーのジャンプ台でさえ35.6度)。大地を手でつかまなければ登れないような急斜面を、意図して選んで購入した。そんな所を下草刈りからしなければならない。山を2年かけて、特殊学級の中学生達と当時担任だった園長が、開墾(園長は、家に帰らず、バラックで寝泊りして、夜中も作業)。平地でさえも転んでいた子が、しっかりと山道を歩けるようになった。
ブドウの苗木を、初め600本あまり植えた。野菜は、豊作だと安過ぎて、不作でもお金にならない。果実だと成果が分かりやすい。年代的に甘い物も無かったし、ブドウなら、勉強が出来なくていじめられて来た子達が、ワインを作るなんてカッコいいと思える。
学園を建てる前の昭和41年、園長は、千葉県袖ヶ浦市の県福祉センター(知的障害者入所施設)の立ち上げに関わる(袖ヶ浦にいても、土日は開墾作業に足利に行っていた)。冷暖房・水洗トイレ・すきま風1つ入って来ない当時では珍しい施設。しかし、何不自由無い施設に疑問を持った。農場に就職が決まっても「ハエが多い」「トイレが水洗じゃない」と不満を言い、帰されてしまう子供がいた。与えられた訓練を受け身で続けるのは、入所者にとっていい事ではない。包み込むようにする事から、生きがいは生まれないと感じた。
また、職員が夕方5時になると家に帰るのも疑問だった。子供は先生を見抜く。夕方子供は「さよなら」と先生に愛想を振りまいた後、さびしい一晩を過ごす。
そこで、昭和43年、こころみ学園を設立。貧乏でもいいから、寸暇を惜しまず、汗を流して働く、家族のような暮らしを目指した。現在でも独身の職員は住み込んでいる(最低でも2年間)。
施設が出来るまでの1年間、園長を初め職員9人は無給だった。
障害児を持つ親で、死ぬ事を考えた事の無い親はめったにいない。
園長には忘れる事が出来ない想いがある。学園の定員がいっぱいで入園を断られた時、見離されたと障害児の親が思い、電車に飛び込んで亡くなった。「一生かけてもつぐないきれない」と園長は思った。
入所の条件は、歩ける事と手が動く事だけだったので、殴られた子が転んで、死なせてしまった子や、女の子に熱湯をかけてヤケドさせてしまった子、どんなに見張っていても何度も脱走してしまう子などなどがいた。(本にはありのまま詳しく書かれている)
園長は、入所者が純粋である事などから、入所者を子供と呼んでいる。
山の中に入ったら、平地でさえ転ぶ子供でも、追いついていかないと必ず置いていかれるので、急な坂道でも何とか踏ん張る。
椎茸を山から下ろす時、転んで心配するのは、入所者の事より椎茸の事。転んだ時子供をよしよししてしまったら、終わり。次に転んだ時、子供がこらえているのを見ると、切ない気持ちになる。職員が「どうした?」と声をかけると「椎茸は大丈夫」と返事がある。こうなったら本物。
椎茸の原木を山から降ろす時には、100~200mの高さの山を1日40回くらい上がり降りする。
「まだ出来る」これでもかこれでもかと挑戦する。
子供が先生にはかなわないと思って付いてくるのは、子供達以上に先生が頑張っているのを見ているから。
女の先生もトラクターを運転する。
先生と子供の間に差は付けない。子供の食べ物・飲み物以外口にしない。子供より良いと思われる宿舎には住まない。差のつくような服装はしない。ワイシャツにネクタイ姿で指示している人は1人もいない。
障害児教育は、普通教育の原点。与えられるばかりの環境の中では、思いやりも想像力も育たない。あれをやってはダメと経験を積ませてもらえず育ってしまった子供達。
きりの無い作業は意欲が出る。意欲の原型は飢餓=ガマンする事。
ひもじさに耐え、背中の皮とお腹の皮がくっつくほど腹が減った時に、心を込めて作られた物を食べる、それが一番豊かだという気がする。
仕事もしない、汗もかかないで、腹も減らず、食べても食べなくてもいいような状態で、いつもセットされたご馳走をたくさん食べても、豊かにはなれない。
健常な子の心が病むのは、物があり余っているから。飢えを人工的にでも作り出さないと。
炎天下での葡萄の手入れ。ここは日本一の熱さを争う館林市がとなりの市。一杯の水がうれしい。重い堆肥を担いで斜度38度の葡萄畑をはい登る。日の出と共にカラス追いの空缶を叩く。
山をくり貫いたワイン醸造場。
ブドウの実が木から風に飛ばされて落ち、施設職員が茫然としていると、障害を持つ入所者は、もくもくとブドウを包んでいた紙の袋を、来年も使えるはずと拾って歩いた。がっかりして立ちすくんでいるより、そのほうが何倍も正しい。
園長はよく「消えて無くなる物に渾身の力を注げ」と言った。生きている物は、いつか消えてなくなる。人間も作物も、皆そう。逆にただの物でしかない物も、そこに渾身の力を注げば、命が与えられる。
ゲーテ「鳥に翼のあるごとく、人間に労働あり」。曽野綾子「日本の若者は20才になったら1年間奉仕活動をすべき。大部屋に寝て、掃除・皿洗いをし、重い物を持って長距離歩く。一生でその時しか出来ない仕事に就かせる。車イスの人でも、盲人でも」を園長は評価。
楽な状況にどっぷり漬かっていても、幸せにはなれない。大事に庇護されるだけでは、精かんな人間は出来ない。
毎日楽しければと、刹那的な喜びだけをつぎはぎして並べていく生活の中で、何が生まれるのか。楽だけを積み重ねたら、楽しい事は無くなる。
本当の喜びは、出来そうにないと思えた事を乗り越えた時だけに感じるもの。楽に手に入るものは、身に付かない。欲は無い。いらない物は欲しがらない。
お客さんは「障害者施設だから」では1回しか買ってくれない。おいしいから買ってくれる。おいしいブドウが必要。
昭和55年、保護者の出資により『ココ・ファーム・ワイナリー』設立。
昭和59年、初めてのワインが出来る。
平成元年、入所者がアメリカへ行き、ブドウの苗木を植える。以降、米国から指導者がこちらに来たり、こちらの先生が行っている。きっかけは、日本のブドウが不作で、ココ・ファームに来ていたワインの注文に応えられないで困って、アメリカのブドウ農家にあたっていたら、カリフォルニアの農家が1ケタ安い値段で応じた。「困っている時は、お互い様だ」と。
ワイン生産は現在、年間16万本。入所者150人あまりでワイン造り。
1つの事だけを毎日毎日やっていると、その事のプロになっていく。検品も入所者が行う。赤ワインの中に入ったコルクのクズは見えにくいのだが、それを見つける職員より秀でた入所者がいる。
ちなみに、日本ではシャンパンとは名乗れないので、スパークリングワインと呼ぶのだそうです。イタリアシャンパーニュ地方の物でないと、シャンパンとは呼べないそうな。
現在94名入所、短期入所10名。平均年齢53才。最高齢91才。
これだけの規模の施設で、未だに自分達で自分の食べる物を作る施設も珍しい。
包丁を持った事が無い人も、炊事。やらせてみる事を大事にしている。やらせてみなければ、分からない。職員が住み込む事によってよく見れる。個室は無い。大家族のようにやっている。
朝6時に起きて、雑巾がけ。掃除機は使わない。5時まで働き、夜食堂の掃除が終って8時から自由時間。9時半に床に入り、10時消灯。テレビは金土曜だけ。日曜だけ起床8時。
学園のある町内の草刈をやって「うちにも来てもらいたい」と住民から言われたり、椎茸生産者の手伝い、他の山の下草刈りの手伝いもやっている。
ココ・ファームは、約4800万円の税金を納めており、カフェがある事で、地元野菜のPR・販売に貢献し、学園とココ・ファーム職員の地元採用は51人になり、地元にとって重要な就職先になっている。
入所者がアメリカに行って、ブドウの苗木を植えた。
平成7年には、入所者が親や家族を招待して、総勢280名がカリフォルニアの葡萄畑を訪れた。最後の日、親が園長にお礼を言って、中々頭を上げない。頭を上げた時の親の顔は、涙と鼻水でいっぱいだった。一時は、親子で心中するしかないと思っていた親だったので、その気持ちは痛いほど分かった。
(2000年九州沖縄サミット、2008年北海道洞爺湖サミットで、ここのワインが使われた)
いつかはここで、入所者が自分の親の介護が出来るようになれば。
そして、入所者が指導者になり、出来れば、職員のいらない施設を・・・。
(特別支援学級だった人や、入所者だった人が施設職員に、6人なっている。23年度)
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こころみ学園とココ・ファーム・ワイナリーは、施設見学を一般でも受け入れているようです。寝る部屋もきれいに掃除されていました。
こんなおしゃれな感じのレストラン。障害者施設には、見えないですよね。
パーティーにも使えそうな広い店内。
今日頂いた料理は、これ。また行ってみたいです。
テラスも。天気のいい日には、気持ち良さそう。
今日は、こころみ学園内のしゃれたカフェ・レストランで昼食を取り、ボランティアさんと市政について意見交換。
ワインやケーキなどの他、ここで作った商品を売っているショップでも、事務局長さんなどにお話を伺いました。
ショップにて。
「障害者施設で作った和紙に、ここのロゴを入れなければ良くは売れない」と事務局長さんが教えて下さった。
こころみ学園のカフェ・ショップなど案内
(昼食後、私は決算委員会の準備があるので失礼し、県庁へ。
足利駅から小山駅への電車の扉は、手で開けるタイプでした)
小山駅の新幹線乗り換え口は、何と券売機が1つしか無く(※)、乗り換え時間が9分あり、券売機に並んでいる人は1人でしたが、発車時間ギリギリになりました。新幹線を利用される時は、パスモ・スイカで乗る駅から入らず、乗る駅から乗車券・新幹線特急券を買う事をお薦めします。一市民の声として、ホームにいた駅長さんに券売機増やして下さいと要望はしましたが。(※券売機自体は2つあるのですが、1つは新幹線特急券を買う専用で、乗車券は買えず、パスモ等では新幹線改札はなぜか入れないので、実質的に券売機は1つなのです(^^;))
埼玉県庁。
国保医療課長。
①国民健康保険税について、私から改めて、県が市町村に税の加算方式を2方式にするよう指導している方針(資産からの課税=資産割をやめ、収入額に応じて課税する部分と、収入に関係なく均等に課税する2方式にする事)の撤回を求めると共に、2方式がいいとする論理的資料の提示を求めました。
資産割を外し、4方式から2方式にした市の資料(戸田市。23年度に変更)で、(モデルケース)年収393万円の世帯(税の軽減を受けられない所得階層)では、7千円増税になる事が今日分かりました。資産から課税をやめないでいれば、増税しなくて済んだ人々です。2方式への変更を市町村に指導する県は、年収400万円以下の生活が分からないし、分かろうとしていない。人口“700万”県民は、単なる数字ではありません。
資産割を外すと、年収233万円・187万円・163万円の世帯がいくら増税になるのか試算するよう今日依頼した。
また、国の検討状況の中で、国保の広域化は、必ずしも全県一律の保険料・税方式でなくても構わないとする案も出ているので、埼玉県でも、全県一律の税方式にならないかも知れない旨、文書で市町村に通知するよう、今日依頼し、承諾された。
その他、国保医療課は「県南部で4方式の理解は得られない」と言うので、県内各市町村別の平均所得額について調査するよう依頼した。
難しい課題を解決するのが、行政の仕事で、県民の生活を無視して、市町村役場が承諾しやすい楽な方法を導入させるのは、仕事になっていないと思います。
②子供医療費無料化について、小児科医・救急医の視点から県はどのように考え、市町村などに意見を述べているか質問。
医療整備課。
①コンビニのように夜間救急病院を利用する“コンビニ受診”対策について私から提案。これまでの取り組みについて聞く。
②【埼玉県民は“畳の上で”死ねているか?】
自宅で死を看取れているのは、県民の何%か? 11.9%(24年)。
全国平均12.5%。1位奈良17.2%、2位東京16.1%、3位兵庫15.7%。
埼玉県庁のこの事に対する目標は、自宅と老人ホームでの看取りが23年度14.7%(全国平均16.5%)であるのを、29年度までに18.7%にするとの事(老人ホームで亡くなる事は「畳の上で死ぬ」と言う感覚と違う気がしますが)。県別で現在、1位は長崎、2位は大阪、3位は広島。
在宅での看取りには、訪問診療機関がある事が欠かせない。狭山市内の訪問診療機関は、県のHPで、どこがやっているか確認出来る。
柏市の公団住宅では、医療と介護の連携事業が、まちづくりの一環として行われているとの事。
③不妊治療が胎児に及ぼすリスクについて、埼玉県民にはどのような説明がされているか把握しているか?
④18才未満の県民の出産状況について調査依頼。
疾病対策課。自殺者減少対策について。
住宅課副課長。県営住宅に住んでいて、収入が高くなり、年収が676万円になっても住み続けられる(4人世帯。2人世帯なら583万円)(実際にいる)事について県担当課の考えを問う。法律で定められているとの事だったが、道理が合わないと思うなら、特区申請するとか国の担当者に直談判するのかと思えば、やらないとの事。
県警交通規制課、視覚障害者用の音声信号の設置要望ヶ所数と設置状況。視覚障害者への聞き取りの状況について確認。
県警本部主席調査官。少年犯罪について調査依頼。万引き対策について。
決算委員会準備。
(0時半過ぎに帰宅)