東中学校、授業公開。3年生・特別支援学級を2時間見させて頂きました。
校長先生と会合。
市職員と意見交換。
新狭山幼稚園、運動会。
市内絵画展、横山勝年氏。
太平洋戦争当時の戦場、東京から南へ5452キロのソロモン諸島(パプアニューギニアの東)、ガダルカナル島に行って遺骨収集をされている方に詳しくお話を伺いました。
HPはその方が所属している『ガダルカナル自主派遣隊』で検索(ブログのユーチューブ映像で、現地活動のスライド写真が見れます)。学生も参加しており、女性も4人参加しているとの事。
遺骨収集メンバーは、行く前にガダルカナル島(以降、ガ島と表示)戦についての本を6冊くらい読む事になっている。
硫黄島戦は兵隊が多かったが、ガ島戦は軍属が多かった。軍属は基地の設営隊。技術職なので、兵隊の給料より10倍高かった。
ガ島での戦時中は地図が無く、航空写真だけで転戦したので、遺骨収集活動は、生き残った人の証言だけが頼り。収集はGPSを利用して、終った所の報告書を作成。
大腿骨・頭蓋骨が見つかると1柱と数えるが、厚生労働省は遺骨収集事業を早く終わった事にしたいので、1柱を2柱として数えたくて、攻めぎ合いになる。
日本からのガ島遺骨収集活動は、15日間(日本からの渡航含め)。
遺骨の埋まっている浅い所は深さ10~20cm。埋葬した所だと浅くて50cm。金属探知機で遺留品を探し、その周りに遺骨が無いか探す。
ゴムボートで川を進む。ベースキャンプを設けて、そこからジャングルを移動する。ガ島での遺骨収集活動の為、その方は日本で荷物いっぱい背負って山登りし、トレーニングしている。
硫黄島は、遺骨収集活動ですぐ近くまで車で行けるし、ユンボ、ブルドーザーを使えるが、ガ島ではそうはいかない。遺骨に付いた土を日本には持ち込めないので、ガ島で洗い、荼毘に付す。
太平洋戦争で海外などでの日本人戦没者は約240万人で、今年6月末までに日本に戻ったのは半分強の約127万柱。北朝鮮など日本人が入れない国や、海没・特攻を除いて、まだ60万柱は埋まっている。
ガ島では2万人以上が戦死。約7千柱が帰っていない。
今年8月15日の産経新聞朝刊と読売夕刊に、ガ島遺骨収集の記事が掲載されていました。
今後資料を見せて頂きながら、更にお話を伺う事に。
市民要望対応。
市民劇団、稽古場訪問。
農家訪問。
不動産業者と意見交換。
狭山市民劇団ステップ第18回公演『雪の降る音』。(当劇団の顧問を劇団創設当時から仰せつかっております)
今回の公演を観た感想は…沁みました。年を取って観ると、違って感じると思います。もう1度観たいと思いました。
当劇団は、若い人も70代の出演者もいる所が自慢です。
市長・広森市議も観てくれました。
自治会長と会合。
支持者会合。