来客。
労組役員さんに挨拶。
前県議と意見交換。
さいたま新都心、復興支援イベント。
被災者を招き、被災地で保護された犬猫の飼い主調査も行われていました。会津磐梯山の太鼓演奏などが行われており、福島県浪江町の焼きそばなどを食べました。
埼玉県加須市 旧騎西高校。
同校に避難されている福島県双葉町長井戸川克隆さんにお会いし、結果として2時間半私にお話下さいました(恐縮(^^;)。お邪魔した経緯を話したら、逆に町長さんから「今日は時間ありますか?」と聞かれました(^^;))。
町長さんからは「日本は災害が多いので、いつ被災してもいいように、各市は災害基金を100億円持っておくべきだ。災害は国に任せてはダメ。県はその為の条例をつくったほうがいい。
災害救助法に被災地は縛られている。改定しなければならない。特に仮設住宅。家族内のプライバシーがない。仮設住宅の建設をはじめ、災害を業者が食い物にしている。
被災者が義援金などを受け取るのに待つ期間が長く、手続きが煩雑。国は自治体を信頼し、自治体にお金を渡して欲しい。全国に散らばった被災者が福島県を通さないとお金を得られないのは、おかしい。
国の政策決定過程で、被災地の自治体の意見は一度も聞かれていない。」
町長は原発事故の補償について、私に手書きでグラフを書いて説明して下さった。グラフは縦軸が補償費用、横軸が時間。軸の中心では0で時間の経過と比例して補償費用が上がる。そして町長は途中のある時期に縦の線を入れ、「国は途中の段階で補償費用を出して終わりにしてしまおうとしているように感じられ、心配している」と言われました。
「3月12~20日の間に検査していれば、多くの町民はヨウ素による被ばくがあったと考えられるが、未だに調査は行なわれていない。後で障害が発生した場合に補償する制度の説明もない。
原子力損害賠償支援機構法は、東電を救済する為の法律だ。法律の第1条 目的には(町長からコピーを頂いた)『原子炉の運転等に係る事業の円滑な運営の確保を図り・・・』と書かれている。経済産業省が生き延びる為のまやかしだ。
日本は災害が多いので、災害があった時、被災者1万人くらいが避難できる“避難村”をつくるべき(6月18日に埼玉新聞に一部掲載)。そこで発電もして、汚水なども自己完結できるようにすべきです。
国について、議論じゃ被災者は、うかばれない。議論よりアクションを。国などに対しての訴訟は望まない。
双葉町は私が町長になる前、財政破綻の一歩手前だったので、町を何とかしたくて町長選挙に立候補した。福島原発の1号機から4号機がある大熊町と比べて国からの補助金は、双葉町には少なかった。
平成19年のリーマンショックの時、派遣村の様子をTVで見て、12月議会で3月までの町長給料をタダにした。就任して6年で町の借金を40億円減らした。さあこれで希望が見えて来たという矢先の震災だった。
震災後、町長の給与を7割減額。
国は、国道6号線の海側を、放射性物質を含む廃棄物処分場にしようとしているように感じられるが、そんな事は認められない。放射能の除去(“除染”という言葉は間違いだとおっしゃっていました)には、専門家(特定化学物質作業主任者など)の人手が必要。被災した自治体の職員は疲弊しているので、それに当たるのは無理です。」
私は旧騎西高校に伺うのは2度目ですが、町長にお会いするのは初めてでしたが、町長はざっくばらんにお話下さり、私も限られた時間の中では単刀直入に伺うしかないので、いくつか失礼ながらストレートに質問させて頂いた。
私が「津波被害にあった地域を、国は山を切り崩してそこに街をつくると言っているが、そんな金が国のどこにあるのかと思うし、そんな事をしていいのか疑問だ」と言ったら、それは違うと否定。
今日の『警戒区域 一部は当面解除せず』との報道について、帰れないのではと尋ねたところ「交通事故で考えて頂ければ、車が壊れたなら、同じ車を加害者が買うのが普通でしょ。私達は帰りたい。私達はこのような事故が起きるとは事前に誰からも説明を受けていないし、国を信じて来ました」と言われました。私からは、県内の公団の空き状況を資料をもとに説明させて頂きました。
町長は「私達は3月11日で時計が止まったままです。いつになったら12日が迎えられるのでしょうか」と言われ、その言葉は、被災された本人でなければ思う事はなく、印象に強く残りました。
町長は、メディアに自分が出る事に震災後ためらいがあったそうで、初めてTV出演したBS日テレ(全編映像がHPに収録)8月18日放送『(闘論(とうろん)~TALK BATTLE~テーマは 「原発賠償」』のDVDを町長と見させて頂きました。(番組ゲスト:町長;経済産業大臣政務官 中山義活氏; 自民党衆議院議員 塩崎恭久氏ほか)
アメリカでは震災当日から罹災申請・登録を始めるとの事。
町長とお会いした話の最後に、東日本大震災で被災した人の為に、アフリカ・マリ共和国の小学生の子ども達が作ったタペストリーが飾られている所に案内して下さいました。絵には、津波にのまれる車や原子力発電所が描かれていて、『私達は今でも日本の人達の痛みを共に感じています』というメッセージが書かれていました。井戸川町長はマリ共和国の人達の写真を見ながら、「こんな飲む水もままならない方々から頂いて、一息ついたら御礼旅行をしないといけませんね.。(写真を見ながら)貧しい国なのに、子ども達の笑顔が素晴らしい」と言われました。
町長が今読んでいる本は、私が今読んでいるのと同じ本(古賀茂明『官僚の責任』)でした。町長さんとのお話は震災についてだけでなく、行政改革の話にもなりました。震災後の県庁との関係や、福島県内に役場機能を移して欲しいとの住民の要望についてのお話も伺いました。
マスコミ各社に送った町長の所感の全文を頂きました。福島民友新聞(8月18日)に一部が掲載されています。
帰る間際に町長に、被災地の為にも頑張る事をお誓いしました。(きっとまたお会いすると思います)
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