南相馬市議会議員さんに車で被災地の現状を案内して頂きました。感謝。
建設中の被災者住宅。津波にあった学校など。
除染 廃棄物
福島県 飯舘村(全村避難中)の至る所に野積みされている除染廃棄物。
今日、南相馬市へ向かうバス内で、飯舘村では0.6マイクロシーベルトでした。飯舘の市街地が、放射線量が高く、市街地から離れると下がるのが、皮肉でした。
南相馬市議さんに伺ったところ「除染した物をどの道を通って移送するかが、問題。福島からの道は県道1本しかない」との事。
原発事故は、終わっていません。
【『脱原発都市宣言』南相馬市で、被災地の震災時・現状を聞く】
「うちの地域は東北電力で、何の恩恵も受けておらず、放射能だけが来た」
「私達は、モルモット。私の累積の放射線量4.5ミリシーベルト。年間換算で1ミリシーベルト以下」・・・。
今年4月に『脱原発都市宣言』する南相馬市役所で、復興企画部次長・企画課長さんや、お2人の市議会議員さんに今日午後、お話を伺いました。
「南相馬市と合併する前、福島原発から30km圏内の原町市は、県から『安全だから避難計画は、作らなくていい』と言われ、作らなかった。
震災時、津波は15~20m。被災された方の中には、今でも津波時の写真を見られない方がいる。
震災前の南相馬市の人口は、7万1千人。現在8千人減。しかし、市内に実際に戻って来ている人は震災前の66%。市の一部に泊まる事が出来ない地域がある。
震災直後は、市外へ避難し、人口は8千人になった。
一番大きな課題は、生産年齢人口(15才以上65才未満)。震災前の3割減。1万7千人減。
父親が戻って来ても、母・子が避難先。
市内大手スーパーは、人手が集まらず、オープンさせたくても、させられないでいる。
チェーン店のすき屋は、時給1200円で集まらない。コンビニを開けて欲しい。
子供の帰還状況。震災前と比べ、小中学生65%、高校生7割だが、保育園・幼稚園の入園状況は、昨年度までは3割だったので、保育園を無料化し、46.6%。医療費は18才まで無料にしている。
学校給食の福島県産は6割強。給食は全産品調査。
震災前の高齢化率は25.9%だったが、一気に33.5%に。病院は56%減。医療スタッフ37%減。介護受け入れ施設が無い。
津波にあった面積は、市内の1割、耕作面積の3割。
20km圏外で農地3200haあるが、作付しているのは110ha。
南相馬市内だけで、除染の人員4千人。生活圏と農地を除染しており、山はやっていない。
市としては今年コメを作る計画だったが、農協に否決された。市は、作って売れなければ賠償を考えていたが。米の実証実験(稲作)は、やっている。周辺で解体工事を行った影響なのか、一昨年より放射線量が上がったが、上がった理由を証明出来ない。小高地区は農業をやめる事を決めたが、農水省は農地とした。営農意欲が失われている。
建設中の防潮堤は、6.3m。市内に7万kwのメガソーラーが設置されている。
市職員の私達は、きちんとした放射線の勉強を学生時代にしていない。住民が思える安全とは何なのか。行政も住民と同じ本で勉強すべき。今年2月に、遅ればせながら、職員の講習会を実施する。
市役所・市議会の本気度が求められている」。
もう2度と原発事故の対策課を、市役所に設置しなくて済むようにするには、原発を廃炉にしていくしかありません。
『100%安全な原発』は、あり得ません。
健康被害のリスクがその時だけでなく、続いてしまうのは、原発以外にありません。
【被災地で泊まった民宿】
『一番星』という名前の農家民宿。名前の由来を伺ったところ「避難所で夕方見た一番星がまぶしく感じた」との事(私も親を亡くした時、春の新緑がまぶしく感じたので、少し分かる気がしますとお話しました)。
「避難所の学校で各教室に被災者が10人いたが、お握りが8個しかなかった。それでも文句が無かった」
「震災時、復旧工事をやろうとした水道業者が、市の指定業者じゃないからと断られ、そんな事言っている場合ではないと疑問に思った」。
今日は、南相馬市役所で2時間、市職員・市議会議員さんお2人からお話を伺い、南相馬市内を1時間半、市議さんに車で案内して頂き、夜は、南相馬市長・市議さん5人と2時間意見交換させて頂き、民宿に戻っても、民宿の方に1時間お話を伺いました。
民宿『一番星』おすすめです。