【『脱原発』について福島県 南相馬市長に2時間半聞く】
南相馬市議会議員さんに車で案内して下さいました。感謝。(1時40分まで)
「小高地区から相馬に城を移した時代に、津波で700人が被害にあった。
私達はお互いに生きている。我々は必死に首都圏を支えながら、原発事故で命を絶っている。原発事故で亡くなった人達と一緒。ペット持っている人は、避難所で大変だった」。
南相馬市長で『脱原発をめざす首長会議 世話人』の桜井勝延さんに、昨日2時間、今日も30分お話を伺いました。
桜井市長さんに教えて頂いた事で一番印象に残ったのは、「3.11以降、“日本人はどう生きるべきか”が問われている。歴史に学ぶべき。政治家は“自分との闘い”だ」。
桜井市長さんは、市議会議員時代、市内の環境問題に体を張って取り組んだが、裁判に桜井さん側が負け、1年半くらい議員報酬を全額没収された。その後、問題は解決したとの事。
脱原発について私から質問したところ、「首長会議では、再稼働・避難計画などについて内閣に申し入れを行っている。
川内原発の避難計画は、国から職員を派遣して作ると言っているが、見通しは立っていない。事故時に、避難出来る所が限られている。1次シェルター・待機出来る場所が無いと、福島原発事故の時のように、避難者が死ぬ。災害関連死が増えているのはそういう理由。飯舘村が避難する時、「南相馬市と同じようにやろうとしたら死ぬ」と官房副長官に言った。
原発事故の賠償金は、実態経済に全く回っていない。商売出来ないから賠償。賠償が28年で切られるのは許せないという声がある。震災後ここに入って来た人には何の手だてもない。全体を見て、個を見る必要がある。国会議員が来て「復興期間は27年度までなので、自立を」と言われた。
子供達は使命感で、この地域を何とかしようと思っている。広島・長崎の人達と反核運動を行ったりもしている。
市の職員から昨年GWの時「民主党政権時代は、国会議員がどの政党も来たが、今年のGWは、自民党の国会議員は誰も来なかった。こんな暇でいいんですか?」と言われた。自民党の国会議員は、外遊だった。
政治家は言葉で示すのでなく、体で示すべき。
ここは何も無ければ恵まれた地域。海の恵みも山の恵みも」。
【津波で77人が亡くなった南相馬市 萱浜地区】
津波被害にあった萱浜地区。南相馬市議会議員さんに、昨日に続き今日も被災地を4時間ご案内頂き、津波で77人が亡くなった地区の慰霊碑をお参りしました。
震災当日、中学校の卒業式に出席していた民生委員さんが「近所のお年寄りを見て来る」と言って帰らぬ人となった。また、お子さんが津波で行方不明になりながら、妊婦であった為に強制避難となり、ご遺体が見つかっても葬儀にも出られなかったお母さんの話。沢山のエピソードは、地域に密着した市議会議員さんだからこそお聞きする事が出来、思いが込もっていました。
【東日本大震災時の状況を住民の方に聞く(南相馬市)】
震災時、食べ物も無い中、救援物資の拠点を担った国道6号沿いのホテル『六角』を経営されている大留さんから27日午前中、お話を伺いました。(以下)
原発事故の不安から物資が届かなかったが、それでも届けてくれる人や、被災地内の物資を融通して持って来てくれた。700、800食が1時間で無くなった。民主党の大島九州男参議院議員も、かなり支援してくれた。
仮設住宅で暮らす高齢者は、気力が無くなり、引きこもりで、睡眠薬を飲むようになったり、ウツになりそうだったので、苗や農機具を用意して、側にビニールハウスと田畑を作ったが、畑をやれるようになるまで大変だった。今では、そこに暮らす人々の生き甲斐や癒しになっている。
≪原発について≫
宇都宮のほうでは、今でもシイタケを作れない。
東海第2原発は、津波があと70cm高かったら、福島原発と同じになったと、東海村の前村長はここに2回来て、言っていた。
危険な物を、危険と思っていない政府はどうかと思う。原発が安全だと言っているのが、一番危ない。
オリンピック誘致で「ここは大丈夫」と、ひとごとみたいな事を言って、あれだけ震災関連死で人を殺しておいて。
政治家で頑張ってくれる人はいないのか。それなりの役職を持っている人がもう少し何とかして。
国会前で、議員団は抗議活動をしないのか。そうやって世論を呼び起こす事も必要ではないか。杓子定規ではダメだ。民主党の党首が変わったのだから、そういう風に方針を変えるべき。リベラル層に反対する人がいないのは、問題。
東京電力の品質管理の弱さが今回露呈した。非常用電源は中々入らず、4台あったタンクローリーは、バッテリーが上がっていた。品質管理は人間管理。
原発に代わるエネルギー対策をちゃんとやっているかが、見えない。次のエネルギーに予算を当てるとか。端っこを崩していけばいい。
これだけひどい目にあったのに、ひどい目にあった人の話を聞いてくれないのは、おかしい。
政治家は、選挙の為に出ている訳ではない。
防潮堤は、何でもコンクリで作ればいいと言うものではない。細川護熙さんが海岸に植林をしていたが、ああいうのはいいと思う。
沖縄に震災の年の7月に行って「もう復興したんでしょ」と言われた。
「甲状腺ガンが、あと1、2年で爆発的に増えてしまうのではと心配している」
「福島原発事故とチェルノブイリの違いは、チェルノブイリでは、地元の農産物を食べていた事。人にガイガーカウンター(放射線量計)を当てると(警告音が)鳴る人まで、チェルノブイリではいた」。
福島県内の放射線量地図をお分け頂きました。今日、私の予定時間ギリギリでしたが、お邪魔して良かったです。他のメンバーは、その後福島原発方面に向かい、福島第一原発近くの国道6号線で、6マイクロシーベルトを超える場所があったとの事。
南相馬市 小高区役所にて
農産物の放射線検査の担当職員の方にお話を伺いました。検査の所要時間は、33分。
小高区で、戻ってもいいと思っている人は3割。多くが高齢者。夜は現在、避難区域の為、寝泊り出来ない。
浪江町と小高町(合併後、南相馬市)の間に、原発建設計画があったが、原町市と合併してから決める事になり、合併後、原発建設計画は白紙になったとの事。
南相馬市 小高区役所にて
農産物の放射線検査の担当職員の方にお話を伺いました。検査の所要時間は、33分。
小高区で、戻ってもいいと思っている人は3割。多くが高齢者。夜は現在、避難区域の為、寝泊り出来ない。
浪江町と小高町(合併後、南相馬市)の間に、原発建設計画があったが、原町市と合併してから決める事になり、合併後、原発建設計画は白紙になったとの事。
【避難区域に、初の食堂オープン】南相馬市 小高区
食堂『おだかのひるごはん』は、除染や、自宅の片付けなど一時帰宅している地域の方々の為に、「温かいお味噌汁を提供したい」という想いから、地区外の仮設住宅から通う素人の女性だけで昨年12月8日にオープン。(私も阪神大震災の被災地にいた時、10日目に初めて『あったかいカップラーメン』を食べた感動は、忘れられません)
小高区で初の食堂がオープンしたとの事で、先週土曜日、NHKの朝のニュースでも取り上げられたと、お客さんに教えてもらいました。お客さんからは復興住宅の問題点をお聞きし、この集合写真も撮って下さいました。(^^;)
小高区の警戒区域解除は、来年3月の予定(それまでにお店の出店など生活できる状況になるかどうかも、警戒区域解除の条件)との事。
私達も、まさに家庭の味である野菜炒め定食を頂き、店長の渡辺静子さんにもお話を伺えました。大通りに面したお店ではないので、南相馬市議さんに連れて来て頂かなかったら、来れませんでした。
写真は、『おだかのひるごはん』店内の”千羽鶴“で、頂きものだそうです。
誰でも、人それぞれの理由で、あせったり、落ち込んだり、くよくよしたりしますが、一歩一歩ですよね。
頑張りましょう。
(陸前高田は有名ですが)南相馬市 鹿島区にもの『奇跡の一本松』があり、生きています。ここの津波は15m。どうしてこの松だけ生き残ってくれたのかと、見ていて愛おしくなりました。
昨年からこの場所で初日の出を見ようと祈願祭が実施されているそうです。
震災の時、若いボランティアが来て手伝い、南相馬の女性と結婚した人もいるとの事です。
「大地に根っこを張りめぐらし、生き抜こうとしている。この地域のシンボルとしたい」と、一本松の掲示板に書かれています。
一本松に入った方のHPに地図が出ていました。(鹿島区北右田)
【原発事故被災地で、なたね油を作る】
被災地で、菜の花を植えるプロジェクトをやっている滋賀県議の山田実さんと同行したので、津波で子供4人とおじいちゃん・おばあちゃんを亡くされ、菜の花を植えたお宅で、お父さんにお話を伺いました。
「家は建てかえたものの、津波に襲われた家には、思い出がたくさんあるので壊すに壊せないが、周りが津波で防風林も無くなり、風がものすごく、家の痛みが激しくなって行っているので、いずれ決断しなければならない」とおっしゃっていました。
菜の花を、放射線のある土で育てても、菜の花の油分には、放射線は移らないので、なたね油として販売する他、バイオ燃料としても使えるとの事で、なたね油を、放射能測定センターで販売していました(菜種油を、検出限界0.026ベクレルの測定器で調査した結果、不検出だった資料も頂きました)。
南相馬の「油菜(ゆな)ちゃん」FB
【埼玉県庁から福島県へ現在も15人職員派遣】
福島県知事が、昨日は埼玉県庁を訪問。
私は県議に当選させて頂いてすぐの議会で、被災地を埼玉県で応援しましょうと質問しました。困った時は、お互い様ですよね。
皆さんも、旅行先に被災地を選んで頂ければと思います。
狭山に戻り、市美容組合。
市医師会。
市民相談。
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チェルノブイリ原発事故の1.8倍
多重がんで労災申請した元1F作業員のインタビュー
「“放射能と暮らすガイド”無料配布」(NHK福島放送局 2014年6月7日)
今回、福島に行く前に、視察先について調べていて、たまたま見かけたHP。
NHKのニュース映像の冒頭の写真、「“放射能と暮らす”」というニュースの表題は、事実上そうだなと改めて思わされました。
ニュースの中で紹介されたガイドブック。
『はかる、知る、くらす。 〜こどもたちを放射能から守るために、わたしたちができること〜』
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県議会で、「被災地復興応援」について平成23年6月に質問 埼玉県議会議員「中川ひろし」オフィシャルサイト