2015年8月21日の活動

市民要望対応。

福島県双葉町 前町長 井戸川克隆氏が原告の『福島被ばく訴訟』(東京高等裁判所)の第1回が開かれ、傍聴に参加しました。
 旗には『原発をゼロにしてから死ぬのが、大人の責任だと思う』と書かれています。
 原告・弁護団の多くがクールビズなのに対し、(国・東京電力側の)被告・弁護団の多くがスーツ上着・ネクタイなのが、象徴的に感じました。

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≪次回以降の日程≫
 11月19日。2月4日。4月20日。いずれも午前10時~。東京高裁103法廷。

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『福島被ばく訴訟』の報告集会が開かれ、福島県双葉町 前町長 井戸川 克隆氏が、涙ながらに語りました(以下。東京弁護士会館)。

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 「原発賠償の打ち切り、避難区域の見直しは、とんでもない。
 核の平和利用は、一気に崩れた。核は、人の暮らし、日本全体を壊した。
 原発から20kmとか、30km圏内を、時の政府が、時間が無いとかの理由で決めただけで、何かの根拠で決めたのではない。その会議録がある。
 原発地域の町長は一緒に戦うべき。『被ばくをさせられた』と思った人は参加出来る。
 町長は物凄い権力を持っているが、ウソの情報では発揮できない。
 私の被ばく実態が分かると困る勢力がある。町職員と3人で当日測った。それについては訴状に詳しく書いていない。今後。
 (双葉町の)墓に行って帰って昨年2月に測ったら、1600ベクレルあった。着衣は8000あった。チョッキを脱いだら750くらいだった。
 ヨウ素がすごいケタで高く、セシウムが低い。
 『外部に放射能を出さない』と言う大前提を崩し、いわき市の人がヨウ素被ばくしている。
 ある副大臣が福島に行って、しゃべった『被爆者の心の問題』。東京の水からもヨウ素が出ている。事故前から、私は『放射能は大嫌いだから』と東電・安全保安院に言い続け、東電は『絶対に無い』と言い続けられて来た。
 1ミリシーベルトは、平常時の数値ではなく、事故時。
 パニックを恐れてはいけない。サボタージュしてはいけない。県はパニックになってしまった。行政の長として残念。13000CPMから10万CPMに押し上げて、避難しなくていいとしてしまった。避難の舵を取らなければならなかったのは、県庁。(事故後)県に文書要求をしたら、無いと言われた。為政者の作為義務違反。多くの市町村は避難訓練に参加していない。
 ヨウ素剤を4千~5千錠配って、福島医大の医師が居なくならないようにした。ヨウ素剤を配布しなかったのは大変な犯罪。私の責任で川俣町にいて、町民にヨウ素剤を服用させた。国・県のせいにするのは通らない。災害対策本部長の市町村長に責任があり、今後問題になるだろう。
 事故後、国・県だけで決め、地元市町村は排除された。
 平常に暮らす人と、平常に暮らせない人の被害感は大きく違う。我々は、ホームシックになる事も許されない。
 生活支援班が原子力保安院にあった。
 『故郷を元に戻せ』と言いたいが、損害賠償という形にならざるを得ない。
 私は『仮の町構想』を打ち出したが、他市町村長は賛成しなかった。13市町村協議会を作ったが、最初半分くらいの参加で、段々、代理出席になり、参加者が減った。
 原発事故が無ければ、国民負担なく、国民の皆さんも第2型の被害者。
 『国民に不利益を与えてはならない』という公務員の規定がある」

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(9時帰宅)

日経新聞の九州版に『川内原発 再稼働後の景色』と題し、昨日から特集記事がありました。
 ネット記事は無い模様。

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【『福島被ばく訴訟』支援団体準備会の初会合】
 9月6日(日)夕方4時~ 埼玉総合法律事務所(浦和
 どなたでも、参加出来ます。

【訴訟の意義と特徴】  国・東京電力に損害賠償請求訴
①避難指示の遅れによる被ばくを問う
 震災時、3月12日14時頃に行われたベントと、同15時36分頃の水素爆発。
 3月11日夕方にはベントの情報を国は知り得ていて、夜にはベントを政府は決定していた。
②被ばくの被害の存在を明確にする
 今でも明確になっていない。どういった調査がなされているかも明らかになっていない。
このような訴訟は、これまであまり無かったもの。

0821_06井戸川さんが持っているのは、『医療被ばく記録手帳』