2015年10月11日の活動

富岡製糸場に、自治会日帰り旅行で行って来ました(私は半日のみ)。
 私どもの会派の松坂議員が県議会で「ユネスコ無形文化遺産に登録された小川町・東秩父村の『細川紙』と、1999年登録の日光の社寺、昨年6月登録の富岡製糸場と絹産業遺産群を結びつけた観光施策」を提案した事について、富岡製糸場のボランティアガイドさんに聞いたところ「確かにここだけでは、もったいない」とおっしゃっていました。

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 富岡製糸場の見学者は、多い時で1日6~8千人。
 1年前に来た時よりもお土産屋などが増えましたが、ガイドさんに聞くと、地元の人が新たな出店者に見受けられない。なぜ分かるかと言うと、ガイドが毎日通っても試食を薦められるからとの事。
 富岡製糸場のボランティアガイドさんは、世界遺産登録された頃約90人いたが、実働が40人だった。今登録されている人は100人で実働が80人。有償になった。

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 製糸場は、143年前に建築。初代工場長は埼玉出身で、渋沢栄一氏のいとこ、尾高惇忠氏(写真)。製糸場の工場を建てるのに、長さ15mくらいの杉の純木(写真。白い柱)を沢山使う為、尾高氏は杉の木の産地で頭を下げて回った。
 今日から大河ドラマは、群馬編。主人公のだんなさんは、維新後初代の群馬県知事になる人ですもんね。
 今日参加した人の中で、先祖が富岡製糸場で働いていたという方がいたので、お話を伺った。長野出身で富岡で働いて、長野でその技術を教えたとの事。
(自治会旅行を午前中で失礼し、富岡でレンタカーを借り、埼玉骨髄バンクのイベントの手伝いで越谷レイクタウンへ)

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 埼玉骨髄バンク推進連絡会が越谷レイクタウンにて2日から『命の輝き展』を行い、患者さんの絵画・詩集などが展示され、11日までに37人の骨髄バンク(ドナー)登録がありました。
 子供を抱っこしながらのお父さん。ともするとチャラいと誤解される若い人。小学生も、真剣に展示を見て下さっていました。うれしい。

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 11日のイベントでは、演歌歌手 大泉逸郎さんの『孫』などのライブと、トークショーが行われました。

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 大泉逸郎さんのトークショーでは、骨髄移植を1年前に受けた患者さんも登場(今日決まった)。骨髄を提供して下さった方(ドナー)からの手紙も披露されました。
 イベント終了後患者の方にお話を伺ったら、爪が全てはがれたままでした。私達が知らないだけで、白血病は移植後も過酷です。この方が良くなって行きますようにと祈ると共に、まだドナーを待っている患者さん達の為に、努力して行かなければと思います。

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 大泉逸郎さんを囲んで、休憩時間・ショー終了後今回のイベントを第1回とし、今後どうするかを23時まで、宮城県石巻市からわざわざ泊りがけで手伝って下さっているボランティアの皆さんと打ち合わせをしました。
 イオンレイクタウンの1日の来場者は、14、15万人。狭山市民全員がいる感じです。

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視覚障害者として、全国で初めての骨髄バンク説明資格を持ったボランティアさん。
 「ドナー登録についての説明や書類の記入には、漏れがあってはいけない。だからそのチェックを目で確認出来ない視覚障害者は、説明員にはなれない」と最初は財団から拒絶の回答だったそうです。しかし、本人の不屈の訴えと、「周りがサポートするから」の応援があり、実現。
 ご自身と盲導犬の力で会場まで来て、今日も越谷レイクタウンで人でも骨髄バンクに関心を持って頂きたいと、ずっと声を張り上げていました。頭が下がります。見える私は努力が足らない。

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埼玉骨髄バンク推進連絡会『命の輝き展』は、12日月曜まで越谷レイクタウン(mori1階 木の広場)で行われています。
 骨髄バンク(ドナー)の登録も、会場で採血と説明で出来ます(5時まで。展示は6時まで)。
 もちろん、説明を聞いて頂けるだけで有り難いです。
 皆様のご協力を、お願い申し上げます。

小さな患者さんの写真・絵画を見入る来場されたご家族
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白血病で、わずか3才2ヶ月で居なくなったさとし君。あれから22年。
 お父さん・お母さんは、泊りがけで今日も手伝っています。
 あなたの力を。
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(0時過ぎに帰宅)