富岡製糸場に、自治会日帰り旅行で行って来ました(私は半日のみ)。
私どもの会派の松坂議員が県議会で「ユネスコ無形文化遺産に登録された小川町・東秩父村の『細川紙』と、1999年登録の日光の社寺、昨年6月登録の富岡製糸場と絹産業遺産群を結びつけた観光施策」を提案した事について、富岡製糸場のボランティアガイドさんに聞いたところ「確かにここだけでは、もったいない」とおっしゃっていました。
富岡製糸場の見学者は、多い時で1日6~8千人。
1年前に来た時よりもお土産屋などが増えましたが、ガイドさんに聞くと、地元の人が新たな出店者に見受けられない。なぜ分かるかと言うと、ガイドが毎日通っても試食を薦められるからとの事。
富岡製糸場のボランティアガイドさんは、世界遺産登録された頃約90人いたが、実働が40人だった。今登録されている人は100人で実働が80人。有償になった。
製糸場は、143年前に建築。初代工場長は埼玉出身で、渋沢栄一氏のいとこ、尾高惇忠氏(写真)。製糸場の工場を建てるのに、長さ15mくらいの杉の純木(写真。白い柱)を沢山使う為、尾高氏は杉の木の産地で頭を下げて回った。
今日から大河ドラマは、群馬編。主人公のだんなさんは、維新後初代の群馬県知事になる人ですもんね。
今日参加した人の中で、先祖が富岡製糸場で働いていたという方がいたので、お話を伺った。長野出身で富岡で働いて、長野でその技術を教えたとの事。
(自治会旅行を午前中で失礼し、富岡でレンタカーを借り、埼玉骨髄バンクのイベントの手伝いで越谷レイクタウンへ)
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埼玉骨髄バンク推進連絡会が越谷レイクタウンにて2日から『命の輝き展』を行い、患者さんの絵画・詩集などが展示され、11日までに37人の骨髄バンク(ドナー)登録がありました。
子供を抱っこしながらのお父さん。ともするとチャラいと誤解される若い人。小学生も、真剣に展示を見て下さっていました。うれしい。
11日のイベントでは、演歌歌手 大泉逸郎さんの『孫』などのライブと、トークショーが行
大泉逸郎さんのトークショーでは、骨髄移植を1年前に
イベント終了後患者の方にお話を伺ったら、爪が全てはがれたままでした。私達が知らないだけで、白血病は
大泉逸郎さんを囲んで、休憩時間・ショー終了後今回
イオンレイクタウンの1日の来場者は、14、15万人
視覚障害者として、全国で初めての骨髄バンク説明資格を
「ドナー登録についての説明や書類の記入には、漏れが
ご自身と盲導犬の力で会場まで来て、今日も越谷レイク
埼玉骨髄バンク推進連絡会『命の輝き展』は、12
骨髄バンク(ドナー)の登録も、会場で採血と説明で出
もちろん、説明を聞いて頂けるだけで有り難いです。
皆様のご協力を、お願い申し上げます。
白血病で、わずか3才2ヶ月で居なくなったさとし君。
お父さん・お母さんは、泊りがけで今日も手伝っていま
あなたの力を。
(0時過ぎに帰宅)