2015年12月6日の活動

事務所。
さやま市民大学。
狭山の生活文化伝承講座、成果発表会(以下)。
 山林が無くては、農業は成り立たなかった。狭山台は山林で中に入ると真っ暗。子供だけでは入れなかった。下草を刈らないと、くずはきは出来ない。くずをかごの中に押し込めるのが、子供として楽しい。ここら辺は、米が取れなかったので、あわ餅が多かった。
 たい肥は、カビさま信仰。落ち葉に微生物がいる。化成肥料は養分だけ。
 下草を刈った所に花が咲くので、子供は花を取りに行かされた。花はお供えしたり、十五夜の時に飾ったり。
 狭山台北小が出来る前、あたりは石が多く作物が取れない所だった。男の子は裏の川で水浴びした。
 狭山ふるさと会は、今年2月設立。

さやま歴史クラブ講座。
 水野新田が出来て、来年で350年。
 堀兼という名に明治20年になったが、それまでは『堀金』だった。
 地名で、福・富・金と演技がいいのは、大変だった所。
 牛久保家(現在は牛窪)は、愛知県豊川市牛久保に由来。
 ウサギ・キツネの他、江戸時代、柏原にはオオカミもいた。
 江戸時代も現在と同じく、農地は年貢が安く、住宅地は高かった。
 朝鮮併合以降でしか、関東では牛は飼われていなかった。朝鮮牛が入って来た。

事務所。
入間川左岸をきれいにする会代表の方と意見交換。
支持者の方と意見交換。
入間基地航友会(群馬泊)。
基地司令など基地幹部・航友会長と意見交換。航空祭について。