県議会観光議員連盟。
国の天然記念物に指定された『古秩父湾』について、県自然の博物館(長瀞)にて、3人の地質学者の方からお話を伺いました。
古秩父湾が天然記念物指定された先月の報道東京新聞
(赤い点が秩父)フィリピンプレートが北米プレートに衝突する事により、奥秩父山地は変形
埼玉県の秩父盆地の地下には、約1,700万年前に誕生し約1,500万年前に姿を消した「古秩父湾」の地層が累積5kmの厚さで堆積し、湾の形成から終焉まで約200万年間の盛衰が記録されている。この地層は川沿いなどに露出し、近代以降、地質学上の著名な観察場所として重要な役割を果たして来た。
現在の日本列島の原型は、今から約2,000万年前から1,500万年前にかけて形成されたとされており、秩父盆地に分布する古秩父湾の地層と化石群は、日本列島形成当時の日本近海で起こった地殻変動や生物群集及び古環境の変遷を示すもの。
これらの地層の露出状況及び化石標本の産出状態が良好であり、学術上貴重であるとして、『国の天然記念物』に指定するよう答申が行われた。
<国の文化審議会は、昨年11月、本県に所在する6つの露頭(地層の露出した崖)と県立自然の博物館所蔵の9件の化石標本を天然記念物に指定するよう、文部科学大臣に答申。この結果、今年3月頃、国による指定の官報告示が行われる見込み。複数の露頭と化石群の複合指定は日本初>
(1)古秩父湾の誕生
約1,700万年前、秩父盆地付近は東に開いた「古秩父湾」を形成していた。 「前原の不整合」(皆野町)、「犬木の不整合」(小鹿野町)では、秩父の山々を形作っている古生代 ・中生代の古い地層の上に、新生代の古秩父湾の地層が堆積しはじめた証拠を観察する事が出来る。
この時代の地層から、パレオパラドキシア皆野標本・三山標本などが産出しており、 誕生間もない古秩父湾に多くの海棲ほ乳類が進出した事を示している。
(2)深い海の時代
約1,600万年前、関東山地全域の沈降に伴い、古秩父湾は深海の時代を迎える。
「取方の大露頭」(秩父市)は、この時代の地層を観察できる高さ約50m、幅約800m に及ぶ大露頭。砂岩と泥岩が交互に重なった地層は、浅海域から深海域に土砂が供給されて堆積した事を示している。
(3)多くの生物を育んだ浅い海の時代
約1,550万年前、古秩父湾は再び浅海となり、多くの海棲ほ乳類が繁栄する。この時代の地層からは、数多くの重要化石が産出している。
宮沢賢治が埼玉・秩父に来て、来年で100年!宮沢賢治が埼玉で詠んだ短歌の碑が小鹿野・寄居にある
「さはやかに半月かかる薄明の秩父の峡のかへり道かな」 小鹿野町ようばけ
「つくづくと粋なもやうの博多帯荒川きしの片岩のいろ」 寄居町
「毛虫焼くまひるの火立つこれやこの秩父寄居のましろきそらに」
「ようばけ」(小鹿野町)は、この時代の地層を観察できる高さ約100m、幅約400m の大露頭。大正5年、盛岡高等農林学校2年の【宮沢賢治】が地質巡検で訪れ、来年で100年になる。
「大野原パレオパラドキシア化石産地」(秩父市)は、昭和47年に発見され 昭和50・52年に発掘されたパレオパラドキシア大野原標本の産出地で、秩父の化石産地を象徴する露頭。
埼玉・秩父路に刻まれた宮沢賢治の足跡 20歳で地質調査に訪れる 産経新聞
(4)古秩父湾の終えん
約1,500万年前、東側の隆起が進んで湾が閉ざされ、古秩父湾は終焉を迎える。「新田(あらた)橋のれき岩露頭」(横瀬町)では、周辺の陸域から供給された角がとがったれきを含む地層を観察する事ができる。
「秩父・日野断層と若御子断層洞を見る」写真、若御子遊歩道案内図
2500万年前の秩父の想像図(上の2枚の図は、地学のガイド新版埼玉県’97.2.20初版第2刷より)
県指定天然記念物 若御子断層洞及び断層群
断層洞の一帯には、無数の断層がほぼ東西方向に走っている、このような断層の集まりを断層群と言い、ここを「日野断層群」という。
若御子断層洞は約2500万年前に堆積した秩父盆地の地層と約1億5000万年前頃の奥秩父山地の秩父層群との境界をなす日野断層に生まれたもの。
県自然の博物館(秩父鉄道 上長瀞駅から徒歩5分)
他会派県議と意見交換。
元県議と会合。