2012年6月16日の活動

つつじのイーゼル会作品展(新狭山)。
小宮山衆議院議員秘書さんに鉄道政策などについて教えて頂く。

日本ALS(筋萎縮性側索硬化症)協会埼玉県支部総会大宮)。
講演、東北大学大学院 青木正志教授。
 ALS患者は、人口10万人あたり、1人から1.5人おり、全国約8500人。有名人ではクイズダービーの篠沢教授や、徳洲会病院の徳田虎雄先生も。
 2人主治医制を提案している。

東日本大震災での現場医療について。
 宮城県は30年に1度災害が起きている。
 東日本大震災時、たんの吸引器はガス燃料だったが止まってしまい、足踏み式で対応。
 病院のエレベーターが止まって、ヘリポートが使いづらかった。
 津波で宮城県内の7つの大病院(723床)が壊滅的被害。

 

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 衛星電話は回線が細く、自分の声が受話器で聞こえて来る中での会話になってしまった。
 災害用無線は、経費節減の為か、途中“有線”を使っている所があり、中継局が被災した地域は使えなかった。

 通信のダウンにより、DMATがどこに行っていいか分からなかった。救護所とDMATの間にタイムラグ。
 患者の被災地域外の搬送(広域医療搬送)が中々出来なかった。県・官邸も機能マヒ。
 1日最大100名の患者がへりなどで搬送されて来た。
 バッテリー切れの人工呼吸器使用患者が殺到した。
 石巻赤十字病院は、ベットが400床で、3月12日だけで600人の新規入院患者が入った。3月13日の救急患者は1251人。野戦病院状態だった。
 震災後10日経っても、救急患者数は、平常の状態に戻らなかった。
 ヘリ搬送に医師が同行するよう言われ、山形へ行くが、帰りは自力で帰らなければならず、電車は寸断されているので、タクシーで帰った。
 ヘリは天候により飛べない事が多い。
 ヘリは気圧の関係で、比較的安定した患者でもたんの量が増大し、吸引をし続けなければならない患者もいた。爆音の中なので機器などの状態は、目で確認するしかない(呼吸器・酸素飽和度などのアラームが聞こえない)。通常は呼吸器が必要ない患者でもヘリでは酸素を使用した。
 病院で不足していた酸素ボンベ・外部バッテリー・吸引機を、ヘリで持って来てもらえば良かったが、頼む余裕さえなかった。
 ヘリより飛行機“空飛ぶICU“のほうがいいのだが、C130は残念ながら今回1度も飛ばなかった。ヘリ内部は狭く、患者にすぐ対応できるスペースが必要。
 災害時“公助”はあてにならない。今回72時間たっても助けに来なかった。
 結果的には、今回の地震での停電は77時間だった。72時間は対応できるよう準備していた。震災2日目になっても停電していたので、長期戦になると覚悟を決めた。非常電源は、人工呼吸器のみに使用した。入院中のケアは家族が対応した。
 車は外部バッテリー充電の為だけに使用した。ガソリンの量をチェックし、1日に減る量と、充電時間を計算し、1週間は持つ事が分かった。1週間あれば何とかなると思った。
 ガソリンの不足により、在宅訪問体制が困難になり、入院期間が長くなった。
 災害時、専門病院での治療は困難になるので、地域病院・かかりつけ医との連携が必要。
 東日本大震災の教訓を活かし、次の震災に向けた備えを急ぐべき。「病院に行きさえすれば、何とかなる」では対応出来ない。
 ある在宅ALS患者さんの話「私達は在宅を始めた時から、地域で生きていく為には、自分に起こること全ては、自分の責任で生きるという覚悟で生きて来ました。備えも覚悟もそれなりにありましたから、入院するという事は考えませんでした。どの命にも差は無いと思いますが、私達が救急車や病室を使う為に、誰かの命が助けられなかったら・・・と思い、自宅でベストを尽くすのみでした」

 新薬は1/26000の薬の確立で出来る。治験までいけば26/83の確立で承認までいく(以上、講演)。
 
 講演終了後、青木先生に個人的にお話を伺ったところ、災害時の電話だけは何とか改善させて頂きたいとの事でした。
 交流会で、参加されたALS患者さん・ご家族からの現状などの報告がありました。体重が78キロから41キロになった参加された患者さんの文書が朗読されました。
 50過ぎの患者さんも参加され、治験薬が高いので、一生懸命今働いているとの事。
 患者さんで本を出版されているマカさんからは、参加者の皆さんへ「何よりも、メンタルが重要」と話されていました。本を購入したら、握手までして下さいました(次の日、メールも頂きました)。
 法改正によりヘルパーが吸引できるようになったが難しく、その訓練をどうするか県と協議しているとの話もありました。

 

目線で文字を入力する機器(赤く光っている『や』の所に目線が当たっている)。
本多 首相補佐官が体験。
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 会場では、口や手などで意思を伝えられなくなった時に、目線で文字を入力する機器の体験が行われていました。
 目を開ける筋力も弱くなった患者さんのご家族が、誰と話しているのかを患者さんに見れるように、患者さんのまぶたを手で開いて確認してもらおうとしており、大変考えさせられました。
 貴重な機会を頂きましたので、皆さんにお伝えします。人が健康で生きていられる期間はそれぞれに限りがあります。私は患者さん・ご家族の方から力を頂きました。お返し出来る様に頑張ります。ありがとうございました。

狭山神経内科病院長先生にお話を伺いました。災害など停電時の病院のバッテリーについて。
県庁で事務作業(終電で帰宅)。