2011年10月29日の活動

埼玉民社協会研修会。
支持者訪問。

狭山清陵高校30周年式典で、高校生に向けて話させて頂きました。

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県立狭山清陵高校
(母校)創立30周年記念式典(狭山市民会館)。
 私は式典で県議会議員として(1期卒業生として)挨拶させて頂き、現役高校生の皆さんが今後直面する社会の状況についてお話し、精一杯エールを送ったつもりです。先日高校を訪問した際、式典の時間が短いと聞いていたので、私は3分以内で話すと校長・教頭先生に伝えてありました。限られた時間で何を話そうかギリギリまで考えました。

全国大会で2度準優勝している少林寺拳法部の演武
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『五体不満足』の著者
乙武洋匡さん(37才)の講演(30周年記念事業)。
 講演前に、昨年千葉国体 車いすスラローム競技で銅メダルだった高校1年生女子・ご両親と、乙武さんと会って頂く為の案内人となり、限られた時間でしたが乙武さんがお話下さいました。お役に立てて良かった。写真にも応じて下さり、乙武さんに感謝(写真の掲載は省略させて頂きます)。

<講演>
 3才・1才の息子がおり、3才の息子は(電動)ヒゲ剃りを手伝ってくれる。
 去年まで小学校の教諭を3年間つとめていた。
 どうやって字を書くのか。ほっぺたと短い腕でペンをはさんで字を書くのを実際講演で見せ、サインを高校生に渡した。
 食事は自分でとれるが、みかんやカニはむけない。
 牛乳キャップを開けるのは至難の業。実際にどのように飲むのか、演台にあったペットボトルで実演。給食でまねをしようとする児童もいたが、私は何年もかけてマスターしたので、失敗する。
 クラスの児童から靴のサイズを聞かれた時に「しめた」と思った。私を前にしておっかなビックリだった児童が普通の先生と同じ存在と認めてくれたのかなと思った。
 長崎県での児童殺傷事件で、12才が犯人だったと聞き、12才はどこかでSOSのサインを出していたのではないか。周りの大人はもっと責任を持って関わらなければと、次は僕が次の世代に返していく番だと思い、大学に通いなおし、教員になった。
 小学生時代自分は今より腕が短く、プールで水に濡れた顔をふく事も出来なかった。
 しかし児童に「5m泳ぎます」と宣言し、小学生卒業以来、プールに飛び込んだ。顔をつけられなかった児童が顔をつけられるようになり、泳げるようになった。
 人生で壁にぶつかった時、出来ない言い訳をしてあきらめる人間にはなりたくないと20才の時誓った。人間は言い訳探しの名人。
 教諭として『のびた君でも居心地のいい教室』を目指した。「勉強もダメ、運動もダメ、でもあやとりはうまいよな。今度教えてくれ」と。何だっていい。1番の良さを見つけてあげる事。「逆上がりは俺達が教えてあげよう」と。
 今日の演題は金子みすずさんの詩「みんな違って、みんないい」。自分の弱さをいい意味で認めて。
 東日本大震災時、私は5階におり、仲間がかついでおろしてくれた。車いすはバッテリーで動いているので、充電出来なければ動けなくなる。何も出来ず、もどかしかった。物理的な手伝いは出来なかったが、前向きな気持ちのお手伝いをと被災地に3回訪問。楽天イーグルスの始球式をつとめた(講演会場でその時のビデオが流れ、腕と顔ではさんで投げ、ちゃんと投げられ、講演会場で拍手がおこる)(ユーチューブ映像「東北の皆さんに、心を込めて投げさせて頂きます」と。ご覧下さい。人の心を動かす力を感じました。走りが速いのにも驚きました)。みんなと同じ事をしただけで私はほめられる事が多かった。あなたはどうせ障害者だから何も出来ないでしょうと思うからほめられる。これまではあまり心地のいい場面はなかったが、今優先すべきは私の感情ではなく、被災地の皆さんがどう感じるか。あまりに多くのものを失ったが、もう1度頑張っていこうと思って頂ければと思った。
 「みんな違って、みんないい」とは、他人の弱さを受け入れていく事だと思っている。

2011_1029_02恩師の小林教頭先生(第2代校長)。手前は現校長の原先生。

 

清陵高校30周年祝賀会。
 県内校長・県職員・清陵元職員・PTA役員の方1人1人に挨拶。恩師の小林教頭先生(第2代校長)と、数年ぶりにお会いした。

大野前衆議院議員さんと、お茶の風評被害対策について意見交換させて頂いた。
祝賀会後、歴代後援会長・歴代校長さんと会合。
同窓会正副会長と会合。