県内の障害者施設の方から、👚ポロシャツ『 “Nothing About Us Without Us” ~私達の事を、私達抜きで決めないで』が好評につき、販売を再開したと連絡を頂きましたので、私もPRに参戦。
前回写真を掲載したのと色違いも、あります。私は👕色違いを買います。HPに注文票があります↓。
障害者施設のHP。注文票は、こちらから ↓ 。
公益社団法人やどかりの里
-------
明日夜は いよいよ ⚽セネガル戦。
📺TV朝日で昨日、原口元気選手と秋也君の特集が放送されました。
📷写真だけで内容が分かるので、ご覧下さい。
⚽第1戦コロンビア戦は、今日(土)夜0時から📺BS1で再放送。
⚽元気選手のどんなプレーが好きか、秋也君の答え。
⚽元気選手がその直後に、語った。【あきらめなかったら、何とかなる】
誰でもそれを信じたいし、そう声をかけてもらえる人がいるといいですよね。
あのタイミングで、(海外にいた)⚽元気選手が病院にお見舞いに来てくれたのは、秋也君・家族にとって、『⚽サッカー王国・埼玉』の皆さんに募金をPRするのに、とても🔥心強かったです。「サッカーを愛する皆さん」と街頭募金で、声をかけさせて頂きました。
秋也君に限らず、今後、⚽プロ選手⚾🏀と小児患者の子達との接点の仕組みを、県で強化しなければと思っています。
皆さんのお陰💓で、その後、米国での心臓移植手術が成功!
応援ありがとうございます!
W杯前に、米国で入院中の秋也君が、⚽元気選手に✉手紙を送りました。
秋也君が書いた💌手紙。
米国の病院の看護師さんと。
(お母さんが教えてくれました)
💌手紙を読む⚽元気選手。
⚽第1戦コロンビア戦 直後の元気選手のコメント💛。
秋也君が⚽第2戦セネガル戦に向けて、元気選手へメッセージ。
秋也君、大きくなり、声変わりし始めましたね。
移植手術前は、食事・水分制限(1日1リットル)と、成長を抑制する薬を飲んでいたせいかな。
移植後は、免疫抑制剤を飲み続けなければなりません。
⚽元気選手のW杯に向けた想い。
よくあの立ち位置から、⚽ボールに足が届くなと思います。
⚽ボールを追いかけ、相手選手に押し倒される原口選手。
押し倒さなければ、原口選手を止められなかったのでしょう。
⚽コロンビア戦で原口選手は、チームTOPクラスの10km以上を走り抜きました。
私達も、全身全霊💓で仕事します。
米国に入院中の秋也君【帰国決定】
皆さんのご協力に感謝。ありがとうございます。
-------
白血病で病気と闘いながら、絵を描き続けた『あやちゃん』の絵画展。川越アトレ7階で、あす日曜5時まで。
レストラン街の片隅の小さな絵画展ですが、これから書く事をお読み頂き、じっくりご覧頂ければ、お感じになる事があると思います。(展示パネルは、7階中央と奥の2か所に分かれています)私が会場にいた2時間の間に偶然、狭山の方も通り、説明させて頂きました。
白血病のあやちゃんについて「小学校に入りたての子が、明らかに『普通の子』と違う自分を、どうやって納得させていたのでしょう」と書かれており、考えさせられます。
あやちゃんは7才9カ月まで生きて、8000枚の絵を描きました。
闘病生活は人生の半分以上の4年9カ月に及びます。大人でもつらい治療を泣き言1つ言わず、「治す為に頑張る」と言っていました。(入院は7才になるまでで14回)
あやちゃんのお母さんは看護師さんで、あやちゃんは病院で「お母さんの靴音はすぐ分かるんだ。お母さんは、みんなの命を預かっているから、今日は来れないね…」と言っていました。
7才になると、スケッチブック3・4冊を1日に描く日が多くなります。
7才の夏、父親に「肺ガンになるから、タバコは やめなさい」と怒り、この日から父は禁煙。
あやちゃんは自分の死を予感して、自分に言い聞かせるように「人間は死んでも2度生まれ変わるんだよね。今度生まれたら、またこの家とこの街で暮らしたい」とお母さんに言い、「今度生まれ変わったら、普通の元気な子になりたい」と言いました。あやちゃんが亡くなる3日前、姉に「お姉ちゃん、今までお姉ちゃんの悪口や怒ってケンカしちゃってゴメンネ」と言い、姉は「ううん、全然平気だよ。お姉ちゃんもゴメンネ」と言って、涙を見せないように逃げるように病室を出ました。それがあやちゃんと姉の最後の言葉になりました。
亡くなる日、何度も「お母さん、ありがとうね」と繰り返しました。(1990年2月28日)
1982年 生まれですから、生きていれば、今お母さんになっていたかも知れません。先日、越谷レイクタウンで絵画展を行った時、話しかけたベビーカーを引いたパパさんは、あやちゃんと同い年でした。
あやちゃんの描いた絵『着物姿』。
説明書きをお読み下さい。
あやちゃんの描いた絵『晴れ時々ブタ』。
あやちゃんは6才までは「医者になりたい」と言っていましたが、病院で患者友達から「絵を描いて」と列が出来、「大きくなったら画家になりたい」とも言うようになりました。
-------
<23日の行動>
市民相談2件。
運送業のドライバーやトラックの悪質な管理状況などについて。
白血病で病気と闘いながら、絵を描き続けた『あやちゃん』の絵画展(川越アトレ7階)。
狭山に戻り、事務所。
教職員と意見交換。先天性と後天性について。