2013年5月29日の活動

被災地視察(私費)。宮城県 陸前高田市、気仙沼市、南三陸町、石巻市。


陸前高田市の市街地を海岸側から見た。建物はほとんど取り壊された。 0529_01

 陸前高田の市街を山側から見たところ。 
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この定住促進住宅(4階まで浸水したが犠牲者なし)は、震災の記録として残すことに(陸前高田)。 0529_03

 

陸前高田の気仙中学校(全員避難し無事)。震災の記録(遺構)として残すことに。 0529_04

 陸前高田の市街地の建物は、市役所・高校を含め、ほとんど解体され、まち全体がさら地になっていました。


”奇跡の一本松”。樹齢173年で、昨年5月まで生きていた。
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 “奇跡の一本松”。震災前、約7万本あった松で、唯一残った1本は、樹齢173年で、昨年5月まで生きていた。募金でレプリカを建て、今後足場を撤去して、6月末に作業完了。


津波避難の看板。震災前は「過去の」という文字はなかった。
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気仙沼市街。津波で船が乗り上げたままになっている。 0529_06

 気仙沼市で、津波に家をのまれた方から、防災対策についてお話を伺いました。


南三陸町の仮設住宅の皆さんからお話を伺いました。
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仮設住宅のお宅にも、お邪魔させて頂きました。 0529_14

 南三陸町の仮設住宅にお邪魔し、知人の紹介で仮設住宅の皆さんがお集まり下さり、2時間お話を伺いました。この仮設住宅には95世帯150人が暮らしています。(この仮設住宅でこれまでに10人の赤ちゃんが産まれました)


津波に襲われた中学校は、こんな高台にあるのに、津波がかけ上がった。(写真左の先に海がある) 0529_08

前回お邪魔した時、津波が来た時のお話は伺いましたが、今日は津波が来た時の写真を頂き、津波の恐ろしさが増しました。

南三陸町立戸倉中学校。1階が津波にやられ、窓に戸板が貼られてある。 0529_09

 

山の上にある学校なのに、1階が津波でやられてしまっている。
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ガレキの集まっている所に戸倉小学校がありました(中学校のある山から撮影。昨年8月に訪問したとき)。 0529_11

 

津波が来た時の南三陸町。(建物は戸倉小学校。3階建て)住民の方が撮影。 0529_24震災があった時、小学生は半数が既に帰宅していたが、山に避難して全員無事だった。
学校建物は残ったものの、震災後、解体したとの事。

 

津波が来た時の南三陸町の戸倉中学校(校舎は写真右上)。
グラウンドに避難して来た車が津波に持ち上げられている。
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体育館のベランダに車が打ち上げられているのが見える。体育館は2階まで浸水、ガラスが割られている。


(山に上がった津波が引いている時の南三陸町 戸倉中学校) 0529_13
この津波で中学校では生徒1人・先生1人の他、避難して来た住民12人の方が車の中などで亡くなられました。
先生は生徒を助けようとされたとの事。こんな高台にも津波がとは考えられません。

<以下、仮設住宅の皆さんからのお話>
 高齢の方からは「どんなに小さな家でも、もう1回“我が家”だと言える家に入って、天国へ行きたい。町長さんに伝えて欲しい」 「行政は、被災者が仮設住宅に入ったら支援は終わりだと思っている。ソフト面の支援も必要。 仮設住宅に入った時もバラバラな地区から集まったが、移転する時は、またバラバラになるだろう。その時にも集まれる機会を作らなければ」 「町の復興計画で、モデル地区の整備計画案が出されたが、モデル地区以外の地域の人から『これまでうちの地区が中心だったのに、そこがモデル地区になったら、さびれてしまう』と反対され、とん挫してしまった」 「これまでは10世帯以上がその地区にまとまって移転しないと認められなかった。ところが、5世帯がまとまれば、これまで家の無かった地域でも家を建てられるように緩和され、乱開発になってしまっている」など(以上)。 つらい事だけ聞いたり、こちらが聞きたい事だけ聞くのは、良くないと思い、楽しい話もたくさんしました。


南三陸町長さんと意見交換。
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震災時のままの現在の南三陸町 防災庁舎(茶色の鉄骨骨組み)。訪れる観光バスが絶えない。
庁舎の周りには多くの建物がありました。
0529_17住宅の土台だけが残っている。

 被災者の方々からお話を伺った上で、南三陸町長さんにお会いし、意見交換させて頂きました。被災者の方にお聞きした事を伝えました。町長さんからは「生き残ったからには、復興を国と闘ってもやる」などおっしゃって頂きました。


石巻市立大川小学校のある地区から、海は見えない(河口から約4km。奥の山と手前の山の間の先にある。) 0529_19

 大川小学校の脇にある山。土砂崩れの恐れを考えるか。津波からの避難を考えるか。
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津波前の大川小学校と住宅街。
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大川小学校に新たな慰霊碑が建てられていました。
0529_23大川小学校では、全校児童108人の7割、74人が亡くなりました。

 

大川小学校のある地区で亡くなられた方々。ズームでみると、年齢が読めます。
震災を風化させないために。
(石碑はもう1つあります)
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 石巻市立大川小学校。新たな慰霊碑が建てられ、この地区で亡くなられた方の名前・年齢が刻まれていました。「3才・7才」などと刻まれていて、無関係な者が見てもつらい。まして家族ならと思いました。


南三陸の被災者の方々が販売している”三陸わかめ”(200g350円。飲食店での販売は単価別。) 0529_15

 私は、南三陸町の仮設住宅の皆さんが売っている “三陸わかめ” を埼玉で売るお手伝いを少しさせて頂いております。肉厚で、とてもおいしく、一般的なワカメとは全然違います。お入用の方はぜひご連絡下さい。被災地の経済を回していく為、よろしくお願い申し上げます。 (仙台泊)