終戦の日に合わせ、広島へ(私費)。
原爆の最大4千℃の熱線に焼かれ、体がとても熱く、多くの方がこの川に入り、亡くなった事でしょう。
原爆ドームと呼んでいる建物は、前は大きかったのですね(左下)。
平和公園は、広島豪雨災害の時以来2年ぶり4度目ですが、新たな発見がいくつもありました。
ちょうど原爆投下の時間(8:15)に、ここに来たので尚更、感慨深かったです。
電光掲示には『最後の核実験から222日』と表示が。
原爆投下から2万5千日と言われると、最近に感じます。
原爆ドームのすぐ脇に、『折り鶴タワー』という建物が7月に出来たそうで、そこから撮影しました。
そこからは、平和記念公園や、原爆の爆風で吹き飛んだ広島城も見えます。
おりづるタワー HIROSHIMA ORIDZURU TOWER
原爆ドームの近くに、戦争当時からある小学校が、資料館になっています。
原爆投下時、朝礼中で、児童・先生160人のほとんどが死亡(小学3年以下は学童疎開して居なかった。袋町小)。
原爆で行方不明の家族への伝言が、原爆で黒くすすけたコンクリートの壁に書かれ、当時のまま展示されていました。
私は災害現場でこのような掲示を見て来たのでそれと、かぶります。
袋町小学校から爆心地までは460m(産業奨励館=原爆ドーム)。行ってみると歩いてすぐだった。
袋町小学校からの距離感。コンクリートだったから、かろうじて建物は残ったが。
私が気になっているのは、現代のエネルギー・資源の浪費です。
戦時中は、燃料・資源が無くて、死ななくて済んだはずの人が沢山死にました。
安保法・憲法改正に賛成の方には特に申し上げたい。戦時中の事を思って、エネルギー消費を減らせないでしょうか?
『はだしのゲン』作者が通っていた小学校も資料館に。
本川小。土日祝は休み。
被爆した銀行は、再建され、現在はベーカリーに。
(下に当時の写真が。)
鶴を折ろうと、折り紙をコンビニ数件探しましたが無く、1枚ですが気持ちを込めて折った鶴を『原爆の子の像』に納めました。
被爆した電車。
1942年製造。被爆して1年後に復帰。2006年まで走り続けたとの事。大事に使っていたのですね。
被爆直後の広島の映像を見ましたが、路面電車をはじめ街全体が茶色く焼け焦げたようでした。
オバマ大統領が広島平和記念公園に来て以来、外国人来訪者は1.5倍との事。
大統領が折った折り鶴とメッセージが展示されている。
広島平和資料館には、全国の市町村長からのメッセージが掲示されており、『川越市長』のメッセージが目に止まりました。
71年間ずっと、半旗なのでしょうか。広島平和記念公園の国旗は。
そのほうが、強い戒めになると思います。