関東大震災(死者10万人以上)が9月1日にあり、朝鮮人の虐殺は2~6日に行われた。
殺されたのは233人(殺人事件として立件した記録に残っているだけで)。(震災前、東京にいた朝鮮人は5千人)
今日、県の担当課長にこの話をしました。
(NHK教育TV『関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか』より。)
国は、この後“戒厳令”を出す。
軍隊が銃剣を持って街に出た事で、市民に「朝鮮人が暴動を起こした」と思われた可能性がある。
殺傷は、「自衛の為」となる。
自警団は、斧などを振りかざしながら、朝鮮人が発音しづらい言葉を言わせる。
朝鮮人に間違えられ、日本人59人が殺され、その中には聴覚障害者や地方出身者も。
被害にあった遺骨は、分からないように処理するよう国が指示。
船橋警察署巡査の証言「埋めた遺体を掘り出して、火葬し、船橋の町中、異臭がし、遺骨は田んぼに広くまいた」(写真)
関東大震災時のウソの新聞報道。
(BS‐TBS『にっぽん歴史検定 映像がとらえた関東大震災』5日放送より。)
殺害された朝鮮人は、約6000人との事。
埼玉県民による関東大震災時、朝鮮人の虐殺。
記録があるだけで94人殺害(4~6日)。
左の大きな棒グラフから、24人・30人・38人。
児玉・熊谷・寄居と書かれているのが分かる。
北足立郡染谷とは、今のさいたま市見沼区染谷。
さいたま市見沼区染谷での虐殺は、朝鮮人の住民は居なかったが、迷い込んで来た朝鮮人を殺した。
国から県を通じ、役場に「自警を」と指示があった。住民は、警察から褒美・勲章がもらえるんじゃないかと思い、「私がやりました」「私がやりました」と言った。(証言者:高橋隆亮さん 見沼区)
染谷では住民が朝鮮人の墓を建てた。風化させてはいけないと。
殺害を行った住民が墓を作ったのは、数えるほどしかない。
殺意のきっかけは、殺された遺体を見て「悪い事をしたから殺された。自分もやっつけてみたい」と、朝鮮人労働者の長屋を襲い、7人を殺したこと。
「バンザイ」という声があがった。
加害者には不安定な職業が多く、新たに入って来た朝鮮人に対抗意識と日頃の差別意識から、虐殺の動機に。
非日常的な災害により虐殺へ。
2009年、国(中央防災会議)は初めて、関東大震災での朝鮮人殺傷事件について発表(震災から86年後)。
「自然災害とテロの混同は現在でもあり得る」と記述。
1923 関東大震災報告書 第2編
【再放送】10日(土) 午前0時~。
ご覧下さい。
NHKドキュメンタリー-ETV特集「関東大震災と朝鮮人 悲劇はなぜ起きたのか」