沖縄・高江、日帰り。
狭山から今朝5時過ぎの電車に乗り、明日は県議会がある為、夜8時50分の飛行機で羽田に帰るが、その時間にはもう狭山への電車は終ってる。
でも翁長知事と話が出来ればというのと、東村・高江(写真)に行かなければという想いで来た。(機動隊の車が並んで、物々しい)
沖縄・高江で購入した本。
とても気に入ったのは、①関東から高江に移り住んだ一家の子供が、チョウチョを見つけて、裸足のまま家から飛び出して行った写真。②小さな子供が真っ裸で「早く川遊びに行こうよ」とお母さんにせがむ写真。今から50年以上前なら、全国のあちこちでいくらでもあったのに、私達が忘れてしまった大事なものを呼び起こさせる。
他に、高江の大自然の風を体に受け入れるように手を差し出すフラダンスの写真があり、自然と調和した暮らしをしていると感じる。しかし国は、反対しているこの家族を子供まで訴えた(子供は関係無いのに)。時間があれば『カフェやまがめ』に行きたかった。
オスプレイの駐機場建設で困っている沖縄・高江。ゲート前のテントでお話を伺った(以下)。
「高江の集落の140人は『自然の中で暮らしたい』と思っている。見捨てないで。駐機場が出来てもオスプレイを飛ばさせないで。ここで反対して、他のどこかに行けばいいと思っていない。オスプレイが近くを飛んでいると、低周波で内蔵が揺さぶられる(ヘリとは違う)。
住民が国や機動隊と話そうとしても無視されるが、国会議員が来れば国は説明するし、工事も止まるから、視察に来て欲しい。工事用トラックの搬入は1日100台、累計2千台。
東京・千葉・神奈川・愛知・福岡県から機動隊が来ている」。(「写真撮ります」と言ってから撮影)
オスプレイパッド建設用トラック搬入口。
搬入口が出来る前は、ここにテントがあったが、撤去された。
「オスプレイ=危険」と、ただ先入観で思うのでなく、データと、実際で判断する。
辺野古に行った時、個人的にお話を伺った、おばあ(写真)。
火炎放射器で戦争中、体の半分を焼かれたあとが残っている。
ベトナム戦争に行く将校に「これはビジネスだ」と言われ、食べる為に働いていた基地での仕事をその日に辞めた。
辺野古で2年前に機動隊に排除されたとき、頭を道路に打ち付け救急搬送。元米兵が座り込みに参加することもある。おばあ「私に出来るのは、基地建設を止める事。海を埋めるなら、海に入ってでも止める」。
辺野古ゲート前のスローガン『あきらめなければ、負けてない』。不屈。
オスプレイの駐機場の建設が進められている所に囲まれるように、140人が住む高江の集落がある(指を指して頂いている所が集落)。
オスプレイを使った海兵隊の実戦の演習場になるのだから、尋常ではない。
オスプレイの駐機場が建設されている高江周辺の地図。
どこにオスプレイの駐機場(パット)が建設されているかが分かる。先程の高江の集落の場所と合わせて確認して頂ければ。
もしこれが我々の地域だったら。
(国は「『ヘリ』パッド」と言っているが)
【沖縄・翁長知事講演】
知事に2年前就任してすぐ衆議院選挙で、沖縄の自民党候補は比例当選だけなので、民意を現した。政府はどのラインを通しても、全く会ってくれなかった。翌1月、やっと官房副長官と会う条件で「基地の話はするな」と言われ、「『基地は作らせない』翁長です」と自己紹介した。県職員に知事が右向けと言っても時間がかかる。「“革新”にいつからなったのか」と言われながら、第3者委員会設立。私は法学部出身。沖縄だけの問題ではなく、地方自治と民主主義の『我が身』の問題。
東京日比谷公園で不発弾が1発出て全国記事になったが、沖縄では何十発もなので記事にならない。「いつまで戦争の話をするんだ。東京・大阪だって空襲があったんだ」と言われ、話にならなかった。福島の人が10・20年後「まだ核のゴミが片付いてない」「放射が出てる」と言ったら、「いつまで原発事故の話をするんだ」と言われる。
市長時代に本土に行って、県人会で言われたのは「『沖縄は基地で食べてるんでしょ。基地を預かって振興策をもらえばいい』と言われるが、本当でしょうか?くやしくて、くやしくて」。本土と、右側の方から言われる無理解・無関心。地方創生・活性化の時代なので、沖縄振興予算をおすそ分けしてご利用頂きたい。のしを付けて。「生意気な奴らだ」と言われるので、強く言う時とそうでない時と工夫している。
沖縄での記者会見で、TVカメラの前では言いづらい事を、発言させて頂きました。米軍兵により何人も殺されている沖縄。
「(沖縄をあくまで応援する立場として)私の支持者の中に『政府が沖縄県をこれほどまでに見捨てるのなら、賛否両論あると思うが、翁長知事が『独立』を口にするのも、(独立)するかどうかは別にして、1つの方法ではないか』と言われる方もいる」。
沖縄が厳しい現状に立たされ、解決策が見出せない中、キレイ事では前に進まない。私が沖縄に行って、自分に何が出来るか最大限考え、沖縄県の方のお話も伺いました。ご容赦下さい。
厳しい、解決が難しい問題は何でもそうですが、賛否が分かれても鋭い着眼点を見極め、ハチャメチャと思われるくらいやらないと、変わらない。
会場では、大阪の地方議員が「大阪の機動隊と府知事の発言は、情けなく、申し訳ない」と言われました。
(私の前の黄色い手ぬぐいは、高江の物。自治体議員立憲ネットワーク沖縄研修にて)
「今回の全国地方議員による沖縄研修会は、中川さん(私)の発案」と
沖縄県議 仲村未央さんがおっしゃっているところ。恐縮です。(写真は全員、沖縄の議員)
今後の方策についても、自分なりのアイデアを出し、意見交換させて頂きました。今後も精一杯考えます。
皆さん、ありがとうございました。明日一緒に辺野古・高江に行けず、ごめんなさい。私は今日、高江に行ったりして食事する時間無く、帰りの空港で、せめて沖縄そばを食べたいと思ったら、保安検査場の中で食事が出来るお店は8時15分くらいで終了してました(TT)(スープが無くなったら終わり。検査場の外は、やってるとの事でしたが戻る元気も無く)。(沖縄滞在時間は、9時間でした)
県庁や県民が、米軍の新基地反対の問題に動かざるを得ない状況は、政府が沖縄の経済などの足を引っ張っていると言っても、過言ではないと私(中川)は思います。他の問題を考える余裕も無くなるし。
もちろん、基地が早く完成すればいいという問題ではない。米軍人の犯罪が無くなる訳ではないので。
沖縄で今回お会いした中で「全都道府県で、米軍基地を受け入れて欲しい」と言われた方がいた。(沖縄の負担軽減なので「所沢に通信基地がある」という問題ではありません)
戦時中、日本軍 沖縄の司令官の遺言「沖縄県民、かく戦えり、県民に対し後世、格別のご高配を賜らん事を」 を思い出す。無関心では、いられない。
沖縄の旧海軍司令部壕で慰霊祭 自決70年、遺族ら120人参列 日本経済新聞 2015年6月13日
<沖縄・高江の行き方>
国会議員・地方議員の皆さん、辺野古・高江に行ってみて下さい。ご連絡頂ければ、相談します。
高江のゲート近くの道路脇に車が停められました。ゲートの近くに、売店も飲食店もあります。ライダーが結構いました。ツーリングには最高ですね。
noheripadtakae.org
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熊本地震について、熊本の市議が「死者数が他の震災と比べては少ないので『大震災』と国は認めず、その分国からの補助金は熊本地震の場合7千億円で、東日本大震災の場合4兆円」と言われた。