秩父へ。大雪時の対応が実際、現場でどうだったか検証。総力特集! 今後の県・市町村の災害対策に活かす為。そして、私たち市民が災害にどう備えればいいか考える為に。
私は今年度までの2年間、県議会 危機管理・大規模災害災害特別委員を務めております。
今回の検証は、どこかを悪者にするのではなく、(雪災害だけでなく)県内どこでも起こり得る災害で、今後に活かす為の教訓として検証します。(2月22日以来、2回目の現地検証) ( )カッコ内は私のコメント。
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県庁の最前線基地【秩父県土整備事務所】。所長などに1時間聞く。(以下)
所長は、大雪後、事務所に6連泊。7日間の睡眠時間は平均2,3時間。
事務所職員で、秩父郡市在住者は4~5割。
除雪車を購入する場合、1台3~4千万円する。
県土事務所にユンボは1台も無い。
建設業者33社の携帯電話をみんな知っている。ムリを承知で頼んだ。
朝日新聞(3月16日朝刊)に、建設協会秩父支部長の除雪作業の苦渋のコメントが載っていた。「使命感が無いと出来ない。ペイはしない。除雪していると、『やり方が悪い』と言われたり、少しでも休んでいるとお小言を言われ、やめたいと思ってしまう」。県が建設業者に何とかお願いする立場。
建設協会もユンボなど重機をレンタルしており、重機は不足している。
<大雪時どうだったか?>
14日午後から大雪警報。
県土事務所には、職員が十数人いた。その後、2泊、缶詰状態に。
歩いて来れる職員に召集の電話。
最初の1週間は、班体制とは関係なく対応。
今回の職員の勤務体制。朝8時半から24時間。
災害時は通常、2班体制。これまで大雨時など、年10回くらいは経験している。
県地域振興センターが機能してなかった。地域防災幹という位置付けの人もいたが。
県地域振興センター・県農林振興センターの課長が家に帰ったり、職員を帰らせたのは課題を残した。泊まるルールにはなっていないが、内規・口頭申し合わせはある。
(バックアップする公務員は、一般論で言うと、指示待ちになってしまう。これを何とかしないと、現場は手一杯で周りを見渡せず、応援を要請する余力も無く、もっと何が出来るかという視点に立てず、適切な対応が出来ない)
東松山県土整備事務所は、関越道が通行止めになった瞬間、定峰峠(県道熊谷・小川・秩父線)を閉鎖した。今度秩父で大雪が降ったら、峠の道を止めようと思う。
月曜日に県庁から連絡要員が来た。これは機能した。県庁との連絡が大変だった。
受援(外部からの応援の受け入れ)が大変だった。地元建設業者との打ち合わせも。
新潟県庁の除雪車が応援に来たのは、午前1時半。翌8時半から作業開始。自衛隊より速い対応。機動力があり、プロだと感じた。雪かきは、土木の災害復旧作業とは別のノウハウが必要。
新潟県と十日町市は、中越地震や2年前の豪雪時、埼玉県庁から“スコップ隊”と称して県庁職員雪かきボランティアの協力を頂いた事に「いつか恩返ししたかった」と、おっしゃっていた。(私が新潟県の除雪職員に、除雪の最前線で御礼を申し上げた時「命がけです」と、おっしゃっていました)1晩に90cmの積雪は、新潟でも数年に1度。新潟県の除雪予算は年間100億円。新潟県による秩父での除雪は実質8日間。
国からの応援は1週間(新潟の業者による)。
自衛隊が来れば溜飲が下がる事はあった。物資を届けてもらった。
安否確認で、元から空き家なのかどうか分からず、混乱した。市の情報収集能力が追いつかなかった。
中津川地区は、これまでにも台風での落石で、数日間の閉じ込め(孤立)は何回もあった。灯油の備蓄は1ヶ月分。怖いのは病人と薬。孤立が3,4日間だったら誰も避難しなかった。
<県土事務所から見た秩父市役所>
2月14・15日の段階で孤立集落という認識を、市は持ち合わせていなかった。
16日(日)午前まで、市は孤立集落を把握していない。
林道の除雪の要請。警察から連絡があった。
15日夕方5時20分頃 県危機管理部に秩父市長が電話「大変な事になっている。市街地がまひ状態」。
県土整備事務所長が秩父市長に「私からも言いますが、公共福祉も預かっている立場で、県の幹部(副部長を紹介)に直接電話したらいかがか?」と話し、県に市長から初めて電話したのではないか。
例えば、病院周辺の雪かきをやってくれなどという情報が、市から県土事務所に欲しかった。
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【秩父市役所】市危機管理課で、大雪時から今までの状況と、今回の教訓を活かした防災対策について聞く。(以下)
市職員数は580人。うち8、9割が秩父地域の在住。電車通勤者は、ほとんどいない。
大雪の2月14日。天気予報では「降雪少ない」との事だったので、市役所にいた職員は2人だった。雪崩という概念も当初無かった。
夜12時に召集がかかったが、既にその時間では、大雪で車を出せない家が多く、動ける車で職員宅を回ってピックアップ。
夜中2時以降に三々五々集まり、結果として市長など職員合計36人。
2月15日、日中は68人に。
15日2件火災発生。消防車が2時間以上現場に行くのにかかった。
TVでは、自衛隊が山梨県に派遣された映像が報じられ、市民から「山梨には自衛隊が来ているのに、秩父はなぜ来ないのか」との市役所への苦情が相次ぎ、収拾が付かなかった。
そこで、16日午後2時半に、防災無線で「現在、除雪作業を進めておりますが、記録的な大雪の為、作業がはかどっていません。自宅周辺の除雪にご協力をお願いします。市では昨日から自衛隊派遣を埼玉県に要請しております」と放送。(この放送により、市民の県に対する不満が高まった部分があるのではないか)
市にあるシャベルカーは、1台。作業できるのは1,2人。
建設業者による除雪作業。20時間除雪活動しっぱなしでも、除雪の仕方、雪を道からよけると歩道側に雪がたまる事への苦情や、「なぜうちの前はやらないのか」との苦情が作業している人に寄せられ、割に合わない。
自衛隊からは「除雪目的の派遣は出来ない」と言われた。
深谷では、自衛隊の基地周辺を“訓練”と称して、雪かきしたと聞く。
(私から、もしこれがこうだったら、ヤバかったと思う事は何ですか?と質問)通信が途絶えていたら、大変な事になっていた。
初動体制の問題点。市役所の土木分野の職員が(市役所建てかえ中で)この建物から離れた建物にいて、市役所の危機管理課に居なかった。1人つめて欲しかった。もう少し入ってもらえれば。
県とのやり取りの問題点。県地域振興センターの職員に来てもらってはいたが、現地の状況情報伝達と、県庁との橋渡しをして欲しかった。県・市との間にワンクッション欲しかった。窓口が1本化されていなかった。
県から、戸別住宅への安否確認の為「戸表を送って」と依頼されたが、とても労力が無かった。お断りするような感じだった。
ヘリの調整は、県がやってくれて助かった。
他町村からの応援の受け入れなど、広域対策本部が必要。被災した市町村の対応の足並みを揃える為にも。
医薬品は、熊谷の病院に通っている人もいたので、市内の病院と病院同士で直接やり取りし、ヘリで直接本人に届けた。
消防・自衛隊は、市危機管理課に来ていた。自衛隊派遣の小鹿野町での情報もこちらに来ていた。
おうち川地区では、水道の取水がつまった。車を降りて普段でも徒歩30分かかる所を、自衛隊がヘリで。
食料はJAと災害協定していたので、近隣町村にも提供してもらった。飲料水をコカコーラが提供。
雪捨て場にも困った。市街地に空きスペースが無い。臨時ヘリポートにした所を移動し、雪捨て場にした。
農耕機などで市民が除雪した場合、後で補助金を出す制度も配慮として市にある。1日1万円。
<東日本大震災時の秩父市役所での課題>
災害対策本部を3月11日の2日後に解散してしまった為、その後に表面化した問題に、担当セクションを超えて対応するのが難しかった。
①放射線のホットスポットなどの問題②市内に120人避難者③被災地応援
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【秩父市役所、大滝支所】へ。支所長・副支所長さんなどに約1時間お話を伺う。
診療所と市職員の連携について、まず聞きました。(以下)
診療所の医師は市立病院の先生で、秩父の市街地に住んでおり、診療所までの20km、普段でも5時間かかる道を、大雪時、歩いて診療所に来た(途中、偶然通りかかった車に乗せてもらえたが)。
薬は今回、直接手渡しが出来なかったので、厚労省にも問い合わせて、特別に集落ごとに薬を診療所で用意し、区長(自治会長)さんが戸別に分けた。
15日朝。本庁勤務の4人が、本庁には行けないので、支所で勤務。
宿直2人体制は、25日まで10日間続いた。
ループ橋周辺では、車10台22人が立ち往生(観光バス1台、トラック7台)。朝3時に「避難所を開設して欲しい」と依頼があった。朝5時に県立大滝げんきプラザを避難所として開設。大滝支所から1.5kmの所だが、雪は腰以上の高さまであり、3人で先頭を代わる代わるにラッセルし、1時間以上かかって到着。集落の市民が、(立ち往生して避難して来る人の為に)おむすび20個など作って来てくれた物を背負って運んだ。昼食も用意した。
孤立集落。せっぱ詰まったという感じではなかった。昭和60年頃にも雪が80、90cm積もった。
孤立した集落の住民を、ヘリで何人かはピックUPした。
朝だけでなく、夕方にも道路の除雪状況情報を流して欲しかった。
<次回大雪になった際どうするか>
私から問題提起させて頂きました。
①通行止めにすべきでは?(中央道が通行止めになったのに、秩父の山奥深い雁坂峠(彩甲斐街道)の道が通行止めにならないのは、車の立ち往生を発生させる。通行止めに出来るのは、近くにいる職員ではないか?)大滝支所の先に集落がある。(工事用の看板を置くのでもいいのでは?)
県のゲートは、川又の先にある。定点カメラもある。トンネル入口の標高は1100m。料金所を閉めた事はある(料金所は山梨県側にあり、料金所を閉めるだけでは不十分)。今回の三峰の積雪1m50。
②大雪時の除雪をどうするか?(山梨・群馬・新潟県との広域ネットワークが必要では?)
除雪車はオペレーターが必要。新潟県の除雪は、本当にうまかった。
秩父・三峰のロープーウェイ乗り場(5年前に廃止)につづく橋を、雪かきした2月22日時点の写真。
これが、今どんな感じなのか。連続写真でお伝えします…。 2月22日。一緒に雪かきしたのは、都内やさいたま市から来られた、普段、荒川でゴミ拾いをやられている
NPO団体(荒川クリーンエイド)の方々で「普段、荒川上流の秩父・大滝地区と交流があり、
大雪と聞いて 応援に来た」との事でした。有り難い。(普段からの交流が大事ですね。身に沁みます)
秩父・三峰 2月22日②
(雪かき作業は、ボランティアの安全の為、4時までにセンターに戻る事になっており、先程の写真の時点で
作業終了時間まであと30分。)赤くきれいな橋が欄干まで雪にうまって、全く通れない。
「やっちまいますか?」と、あと30分でこの橋を通れるように しようと意気込む。
しかし、30分で出来る自信は当初無かった。
先頭を代わる代わるにラッセルして、息をきらし、結果開通! (遠くにヘロヘロになってる私が見えます)
秩父・三峰 再び3月17日に同じ場所へ。こんなきれいだったんですね。
川の景色。きれいでしょ。
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最後まで“孤立”していたと報じられた中津川地区へ。
(大雪から1か月以上経っているが)まだ雪が、道路脇にはとても多く残っている事に驚いた。
中津川地区は、西武秩父駅から車で1時間10分。秩父は奥が深い。(こまどり荘まで行きました。←地図で、西武秩父までたどってみて下さい。距離感が分かります)
(秩父大雪対応独自検証報告は以上)
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大雪復旧時、災害ボランティアリーダーを務めた秩父市議候補予定者と会合。
秩父市街地の方に、大雪時の対応についてお話を伺う。 市議と意見交換。
(11時前に帰宅)
雪かきした橋は、大滝のメイン通り。国道140号で、鳥居がある所が入口(写真は2月の時のもの)。
今は観光で訪れる所に雪はありません。
秩父の市街地は全くと言っていいほど雪は残っていません。もちろん歩く分にも全く問題ありません。 ぜひ秩父に観光へ。秩父札所34か所は、今年12年に1度の総開帳中です。
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あたたかくなり、どこかに行きたいシーズンになりましたね。 大雪で痛めつけられた秩父など埼玉県内。
困った時に、周りがどう動くか。 秩父へ観光にお出かけになりませんか?
秩父のうまいもん、【豚みそ丼】。 西武秩父駅から近く、(雪かきの時、ボランティア本部だった)秩父市社会福祉協議会のとなり。 雪かきの時は、行けませんでした。今回は食べましたが、とってもおいしかったですよ。
【秩父珍100景】 西武秩父駅のわりと近くの居酒屋さんの入口にありました。探してみて下さい。
(あ、看板ですよ。嫁じゃなく)